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2019.11.11
第6回『太陽はひとりぼっち』:世間を騒然とさせた現役中学生作家、高校生になって初の書き下ろし小説!早くも大評判!! 全6回連載
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第6回『太陽はひとりぼっち』
一気に話し終えると安武さんは、手で顔を覆った。
あまりの意外な告白に、しばらく言葉が出てこなかった。
「それからこれまで、賢人には一度も会わなかったんですか?」
かろうじてそう訊ねると、安武さんの肩がぴくりと動いた。
「冷たいと思われるでしょうね。でもその当時は会わないほうがいいと思ったんです。いや会うのが怖いと言ったほうがいいかもしれない。そう、会うのが怖かった。日記が親に見つかり、追及され、その時は強く否定したけれども、僕が彼に惹かれていたのは確かで、それがどういう種類の感情か自分でもわからなかった。わからないことが怖かった。気持ちがそっちに流れていくのを恐れた。あふれ出しそうな思いと、それを押し止めようとする気持ちが、心の中で、いや全身で渦巻いて、おかしくなりそうだった。だからもし会ったら、自分がどうなるかわからない。それを恐れた。親や先生が言うように一時期の熱病のようなものだとしたら、いつか醒めて治まるだろう、それを待ったほうがいいと思った。そう自分に言い訳した。でも賢人を忘れたことはなかった。これは真実です」
「それで、どうして急に賢人に会いに来たんですか?」
「実は海外赴任が決まって、当分日本を離れることになって」
「ああ、それで」
ずっと胸につかえていたことを、すっきりさせたかったのか。そう思ったが口には出さなかった。
「その前に、結婚もするので」
「え、あ、あ、そうですか」
結婚後、夫婦で海外に行くという。
「それは、女の人とですか?」
思わず口をついて出たが、不用意な質問だったかと瞬時に後悔する。
しかし安武さんは、ふっと表情をゆるめ、穏やかな口調で言った。
「そうです。でも賢人ほどに心の底から尊敬し、深愛を感じた相手はいません。男でも女でも」
その後ふたりでアパートに戻り、賢人の部屋の呼び鈴を押したが反応はなかった。しばらく待ってみたが、安武さんは婚約者と会う約束をしているというので、私に白バラを託し、帰っていった。
結局、賢人の部屋に明かりがついたのは、午後八時を過ぎてからだった。バラの花を手に、呼び鈴を押す。すぐに賢人が出てきた。咄嗟にバラを後ろに隠す。
「あ、あの、帰ってきてたんだ。どこか出かけてたの?」
賢人が小首をかしげる。
「うん、駅前でラーメン食べてきたんだけど、何で?」
「いや、さっきも来たんだけど、いなかったから。これ預かってて」
バラを差し出す。
「あ」
賢人が短く言い、固まる。
「や、安武さんが、お見舞いに来て」
「そ、か」
バラを受け取り、じっと見つめている。
「それからね」
これだけは伝えたほうがいいと、意を決して言う。
「海外赴任が決まったんだって」
「そ、か」
「当分日本には帰ってこないみたい」
「そ、か」
「それから、結婚もするんだって」
賢人が息を呑む。沈黙が続く。賢人の顔をまともに見ることができず、思わずうつむき、自分の靴先に目を落とす。
「そ、か。良かった。幸せで良かった。幸せなら、良かった」
強がりで言っている響きはなかった。顔を上げると、賢人の口元には笑みが浮かんでいたが、目はかすかに潤んでいるように見えた。
泣かないで、賢人。
「あ、あのさあ、また、いつでもうちにご飯食べに来てよ。と言っても、大したものないんだけど。これ、謙遜じゃなくて、単なる事実ね」
賢人は返事をする代わりに、顔をくしゃりとさせて、何度も何度も頷いた。
「あのつらい経験、過去があったから今の自分がいるんだと、堂々と胸を張って言える人は、現在が幸せな人です。そうじゃない人は、過去のあのことがあったから、今の自分がこうなった。あのことさえなければ、と悔やむんです」
いつだったか木戸先生が言っていたのを思い出す。
賢人はどっちなんだろう。やっぱり悔やんでいるのかな。安武さんと出会わなかったら、今とは違う賢人になっていたんだろうか。
「自分ではとっくに葬り去っていたと思っていた過去が不意に目の前に現れ、自分に復讐することもあります」
そんなことも言っていた。今夜はやけに木戸先生の言葉が思い出される。
不意に目の前に現れた過去。安武さんは、賢人にとって確かにそうだったろう。けれど復讐されたわけではない。それは賢人が最後に見せた笑顔が証拠だ。安武さんの訪問は、賢人にとって福音だったと思いたい。福音という言葉は、春の終わり頃もらった三上くんからの葉書に書かれていたので、辞書で調べると『喜びをもたらす知らせ』とあった。
田中さんに、福音がありますように。
マリア様が描かれた古い宗教画のようなイタリア製のポストカードにそう添えられていた。三上くんも元気にやっているようだ。私はキリスト教の信者ではないけれど、祈りたい気持ちになった。
次の日、学校から帰ってくると、アパートの前で地べたに腰をおろしてタバコを吸っているおばあさんがいた。おばあさんでタバコを吸う人を見たのは初めてだったから、少し驚いた。もんぺみたいな黒いズボンに、紫色の長袖ブラウスを着ていたけれど、痩せて骨ばった体つきが服の上からでもわかった。横を通り過ぎる時、ちらっと目をやると、顔は骨の上に皮一枚といった感じで両目は落ち窪み、ドクロがタバコをふかしているようにも見えた。うつむいて前を通り過ぎ、部屋に入ろうとすると、後ろから声をかけられた。
「あんた、花実かい?」
心臓がどくん、とした。
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