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2019.11.6
第1回『太陽はひとりぼっち』:世間を騒然とさせた現役中学生作家、高校生になって初の書き下ろし小説!早くも大評判!! 全6回連載
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第1回『太陽はひとりぼっち』
「暑い時は、あんこ職人の灼熱地獄を思え。寒い時には、シベリアに抑留された三波春夫の極寒地獄を思え」
酷寒酷暑の季節になると、お母さんは必ずこう口にする。
あんこ職人は小豆を炊くその作業がいかに過酷か、それこそ熱く語る。火のそばでつきっきりであんこを煮詰める際、あんこがマグマのようにはねるという。それを思えば夏の暑さなどどうということはない、と。
ほかにも暑さに耐える職業はあるだろうが(たとえばクリーニング業とか鋳物関係とか。何よりお母さん自身が、炎天下、工事現場で働く肉体労働者であるのに)、なぜあんこ職人かというと、あんこはお母さんの大好物だからだ。
国民的歌手・三波春夫のシベリアの極寒地獄というのは、以前そのようなテレビを見ていたく感銘を受けたらしい。凍てつくシベリアの地での労働は想像を絶するそうだ。生きたまま人が凍るとか。三波春夫の見た極寒地獄を思えば、日本の冬の寒さなどどうということはない、と言うのだ。
しかしいくらあんこ職人や三波春夫のことを思っても、暑い時は暑いし寒いものは寒いのだ。去年の夏は格別に暑かった。暑さで死ぬ人までいたほどだ。とてもエアコンなしでは暮らせないが、エアコンを使う時に感じるかすかな罪悪感。お母さんが昼間働きに出ている時に、家でひとり自分のためにだけエアコンを使うのには抵抗がある。なるべく扇風機でしのごうともしたが、そんなものでは到底乗り切れないほどの、まさに酷暑だった。
「お大尽は夏涼しく生活して、冬は暖かく暮らしている」とお母さんは言うが、別にお大尽でなくとも、今時はそれが人間らしい普通の生活だろう。
お母さんは「お金持ち」よりも「お大尽」という言葉を好んでよく使った。大家のおばさんもだ。この言葉を使うのは、私の知る限りこのふたりしかいない。もっともその使い方も「紙袋がいっぱい溜まった」「よっ、袋大尽!」「カイワレ大根がこんなに増えた」「よっ、カイワレ大尽!」という程度のもので、さして重みがない。
本物のお大尽というのはテレビで時々目にするような、部屋がいくつあるのか自分でもわからないような豪邸に住むとか、自家用ジェット機があるとか、月へ行くとかいう人たちで、こうなるともはやファンタジーの世界だ。
そのような人たちと、年がら年中些細なお金に困っている我が家の違いは何だろうか。そういう星の下に生まれたと思うしかないのか。お金は天下の回りものというが、どうもお金はそういうお大尽の間だけを回っているようで、なかなかこっちには回ってこない。わずかなおこぼれさえも。
わずかなおこぼれにもありつけない人からも、取る時は容赦ないのが世の中だ。
私はこの春中学に入学した。
地元の公立校だが、お母さんは制服の注文書に目を剥いた。
「えっ、制服一式が七万円? 体操着が二万? 水着と帽子で一万、上履きと体育履き合わせて七千円で、カバンが八千円? 全部で約十二万って、これイートン校の申し込み用紙、間違えてもらってきたのかいな」
イギリスのイートン校ならこんなもんじゃないと思うが(第一あそこは男子校だ)、ふざける口調とは裏腹に、お母さんの眉間のシワは深かった。確かにこれは高いなと私も思った。だからって買わないわけにはいかない。
「三年間で十二万。一年四万、一ヶ月にすれば三千円ちょっと、一日百円か」
そんな計算をしたところで現実は変わらないのだが、そう考えることでお母さんは少し落ち着きを取り戻したようだった。
「一年中制服で暮らすか」
と、無茶なことを言う。
値段を聞いたアパートの大家のおばさんも「あらまあ、制服ってこんなに高かったっけねぇ?」と眉をひそめた。
「私たちの時代は、姉や親戚の子のお下がりをもらったりしたもんだけど。ああ、そうだ、私の知り合いに、この三月に中学を卒業した娘さんがいる家があるから、ちょっと聞いてみてあげるよ」
その言葉を当てにしていると、数日後大家さんは確かにブレザーの制服の上下をうちに持ってきた。
「うわっ、まだ綺麗じゃん。これなら十分着られるよ。サイズもちょうど良さそうだし」
身を乗り出すお母さんだったが、どこか違和感があった。校章に「四中」と見て取れる。
「これ、四中ってあるけど? 私が行くのは三中なんだけど?」
すると大家さんは「やっぱ、ダメかね?」と、ぺろっと舌を出した。
「いや、こういうのは大体どこも同じようなもんじゃないの? 紺のブレザーにひだスカートなんだからさ。ぱっと見、遠目にゃわからんて」
お母さんまで無茶なことを言い出す。学校生活において、常に先生や生徒から遠目に見られる状況に自分を置くなんてできるわけがない。
「それか常に動いていて、目の錯覚を利用し、四中の制服と悟られないようにする」
「イリュージョン!」
ふたりが大笑いする。
中学生活を始めるに当たり、既にこの時点で私だけマイナスからのスタートという気がしてならない。と案じていたら、ちゃんと一式新しいものを購入してくれた。だったら最初から素直に買ってくれたら良かったのに。うちは、どうもこういうひと騒動をしないと収まらないのかもしれない。確かに手に入れた時のありがたみと嬉しさは増す。真新しい制服を前に、感動していた。
「良かった、ちゃんと普通の制服で」
この気持ちは、何でもすぐに手に入るお大尽にはわかるまい。
「この四中の制服も、一応取っておくからね。何かあった時のために」
それでもまだお母さんはそんなことを言う。何かあった時って? と聞くと、
「失くしたりした場合だよ」
当たり前のように返ってきた。
これは、何があっても死守せねば、大事にしよう、という気持ちになる。全くお金はありがたい。
お金では買えないものがある、と言うけれど、またそれは真実であるとは思うが、お金がなければ、お金で買えるものも手に入らないのだ。
「お母さんも、伸びきったパンツをギリギリまで、ごまかしごまかし穿き続けて、それでようやく満を持して新しいパンツに替えると、やっぱこれが気持ちいいんだわ。もう精神まで、しゃきっとする感じ。そういう時、ああお金ってありがたいよなあ、ってしみじみ思うよね」
どこでありがたみを感じるかはともあれ。
かくして私は無事に中学生になれたのだった。
でも中学には仲の良かった真理恵や美希はいない。木戸先生もいない。六年生の後期に隣の席になった三上くんは、寮のある山梨の学校に行ってしまった。
変化といえば、激安堂が閉店したのも衝撃だった。うちの食生活を支えてくれていた激安堂が店じまいしたのはこの春で、食料のほぼすべてを、この店に頼りきっていた我が家は途方にくれた。
「どうしよう。あそこがなくなったらもう生きてけないよ。これからどうしたらいいんだろう」
リーマンショックなどうちでは塵ひとつ動かなかったが、激安堂の閉店は大打撃だった。
そのことを知った日、お母さんはほかの常連客と一緒になって「裏切り者ーっ」と社長を取り囲んで責め立てたが、裏切るも何も、もとを正せば、ただでさえ安い激安堂の商品を何だかんだ言ってさらに負けさせて、薄利に拍車をかけ、結局激安堂の寿命を縮めたのは自分たちなのに。
「賞味期限近いんだから半値、半値」と迫る客に「しょうがないなあー。でもこんなことしてたらうち潰れちゃうよー」と社長が冗談めかして言っていたが、それが現実になったのだ。
実際問題、建物自体の老朽化もかなり進んでおり、建て直して店を再開するのは、とても割に合わないらしかった。そこを売った跡地にはマンションが建つという噂だった。
「明日っからどうやって生きていけばいいんだよぉ? もう生きていけないよぉ」とお母さんは数日大げさに嘆いていたが、当然そんなことはあるはずもなく、なければないでそれなりに暮らしていくだけだ。
真理恵や美希、木戸先生、三上くんがいなくても私の中学生活は始まり、激安堂がなくてもしっかり生きている。
変わらないようでいて変わるのだ。街も人も。
工事現場で働く肉体労働者のお母さんは、腰痛が以前よりひどくなったというが、それは加齢と働きすぎで、大家さんは膝の痛みが悪化したというが、それは以前よりまた肥えたからだが、これも変化といえば変化だ。
「なーんにも変わんないのって賢人ぐらいだよ。賢人って、私が小さい時からずーっとこんなだもんね。ずっと濁ってる感じ」
「濁って、って。結構失礼なこと言うよね、君」
賢人は大家さんのひとり息子で、アパートの隣に一軒家の自宅があるのに、昔、今は亡き父親に追い出されて以来、このアパートの二階に住んでいる。二十代らしいが職につかずぶらぶらしている、いわゆるニートだ。私が保育園に入る前からずっと。
「それに賢人、賢人って、呼び捨てにするけど、俺、かなり歳上なんだけど?」
「じゃあ大家の息子、二階の無為の人、ミスターニート」
「賢人でいいです。いや、むしろ賢人でお願いします」
今でこそ私に言い負かされる賢人だったが、これでも昔は神童と呼ばれていたほど賢かったそうで、まさに名は体を表すだったとか。私立の難関男子校に中学受験して入ったが、何があったのかいつの間にか行かなくなって、今に至る、らしい。
「地頭はいいんだから、そういう人って一念発起して何か起業するとか、難しい資格を取るとかできるんじゃない? そういう兆しはないわけ?」
「うん、ないね」
いつものらりくらりした返答しかしないくせに、そこだけはやけにきっぱりと言う。
賢人はともかく、みんなずっと昔のままではいられない。うちにお金がないのは相変わらずだけども。