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2019.10.19
吉田修一の新境地!『アンジュと頭獅王』
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驚きのストーリー展開に各方面から反響続々。
これぞ古典エンターテインメント!
森鷗外の「山椒大夫(さんしょうだゆう)」や児童書などで誰もが知っている、あの安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)。
人買いに騙され、母・御台所(みだいどころ)と離れ離れになった姉弟の悲劇を描いた古典の名作が、吉田修一の手によって時空を超えるエンターテインメントとして蘇る。
「何故いま古典なのか?と言う事に大いに刺激を受けました。
僕、古典は苦手なんですけど全然平気でした。
時空を超えた、悪と慈愛の物語。
新しい。
品格とは何か?を問われる作品でした。
あと、刹那主義への強烈なアンチテーゼ。
来世を信じるタイプではないのですが、人間は、百年、千年単位で思考してこそ、人間として存在する価値があるのだなと。そんな事を思ったりもしました」
(沖野修也さん:DJ/作曲家/執筆家)
「吉田さんの『アンジュと頭獅王』を森鷗外版『山椒大夫』と合わせて読んでみました。
吉田さんの作品の前半部分は残酷な場面もちゃんと残されていて、説経節の原本に近いのだろうと思います。
後半は時空を超えた驚きの展開でしたが、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の読後感に似た気高さを作品から感じました。
文楽には、現在ひとつだけ『由良湊千軒長者(ゆらのみなとせんげんちょうじゃ)山の段』という山椒太夫を題材にした作品が残っています。
義太夫節の中の説経節という節で曲付けがなされており、弾き語りでやってみたくなりました」
(鶴澤清志郞さん:文楽技芸員 三味線)
誰かのために生きる時代を模索する今だからこそ、人々の心に強く刺さる二十一世紀版山椒太夫。
「人の幸せに隔てがあってはならぬ。
慈悲の心を失っては人ではないぞ」――
吉田修一の新境地ともいえる本書は、文字を追うごとに、思わず声に出して読みたくなる圧巻の言葉とリズムにあふれている。
たとえば頭獅王(ずしおう)が、お聖(ひじり)の背負う皮籠(かわご)に隠れ、揺られ揺られて八百年の時空を超えるくだりは、声に出して読むことで一気に加速する。
‹‹「百年かかろうと、三百年背負おうと、千年歩こうと、いたわしや頭獅王や、きっとそなたの願いをこの聖(ひじり)は叶えてあげましょう」
と、七条朱雀(しゅしゃか)の権現堂(ごんげどう)を立ち出(い)でて、
三条大橋、八坂(やさか)の塔はこれとかや。<中略>
安土・桃山打ち過ぎて、大井川の徒行(かち)渡し、
人馬継立(じんばつぎた)て藤枝(ふじえだ)の、
伊勢物語に宇津(うつ)の山、杣人(そまびと)すれ違うとはこれとかや。
丸子(まるこ)の弥次喜多(やじきた)はこれとかや。<中略>
皮籠(かわご)に揺られて、ほうれほれ。
百年揺られて、ほうれほれ。<中略>
皮籠は揺られて、ほうれほれ。
頭獅王恋しや、ほうれほれ。
明治・大正・昭和・平成、
皮籠は揺られて、ほうれほれ。
令和恋しや、ほうれほれ。
銀座・赤坂・四谷を打ち過ぎて、
内藤新宿(ないとうしんじゅく)とはこれとかや。››
令和の新宿に降り立った頭獅王と、アンジュ姫の運命やいかに。
宿敵、山椒太夫親子と再び対峙した頭獅王は、慈悲の心を果たして失わずにいられるのか――。
慈悲の心の尊さとはいかに、を現代に問う圧巻の書き下ろし小説、ここに誕生!
装画は画家・絵本作家のヒグチユウコ氏。
著/吉田修一
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