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2019.10.4
【第1回】世界中で読み継がれる名作『風と共に去りぬ』を林真理子が鮮やかにポップに、現代甦らせた!『私はスカーレットⅠ』第1章~第3章を無料公開中!
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キーワード: 風とともに去りぬ 林真理子
【第1回】
第1章
私はいわゆる美人、というのではないかも。
けれどもいったん私に夢中になると、男の人たちはそんなことにまるで気づかなくなる。そしてたいていの男の人たちは私に夢中になるから、私はこのあたりのいちばんの美人ということになっている。
私の顔はちょっとエラが張っているけれども、みんなそんなことを気にしやしない。私の目の素晴らしさを讃えるだけだ。
姉妹の中で私だけが深い緑の瞳を持っている。そのまわりを濃い睫毛が縁どっているから。男の人の前では、時々まばたきすればよかった。そして、微笑んでエクボをつくる。するとたいていの男の人が、あえぐようにささやくのだ。
「ああ、スカーレット、君はなんて美しいんだろう」
だけど今、目の前にいるタールトン家の双児だけは違う。まだ私に告白してはいない。理由は二つあって、双児はいつも一緒に行動していたこと、そして私たちは幼なじみで、じゃれ合っていた時期が長すぎたということ。
後から聞いた話だけれども、去年の夏、ちょっとした集まりで私に出会った二人は、とても驚いたという。あのお転婆のスカーレットが、いつのまにかとても魅力的なレディになっていたからだ。それまで会っていなかったわけではない。それなのにどうしてあの夏の日まで、自分たちはスカーレットの素晴らしさに気づかなかったのだろうかと兄弟はとても不思議がったんだって。
理由は簡単だ。私が決めただけのこと。この双児も、私の賛美者にしてみせるって。だからいつものように笑いかけて、まばたきをした。すると兄のスチュワートも、弟のブレントも私にまとわりつくようになったのだ。どちらかが出しぬかないために、いつも二人で。
一八六一年、四月のその日のことは一生忘れないと思う。私の人生が大きく変わった日だ。でも、私はそのことに何も気づいてはいない。いつものように、タラのテラスの日陰でのんびりと座っていた。遅い午後の陽が斜めに庭に差し、新緑の中でいっせいに真白い花をつけた、ハナミズキの木を照らしていた。双児が乗ってきた馬は、屋敷に続く道につながれていて、その足元では何匹かの猟犬がたわむれていた。平和で穏やかな、タラと呼ばれるうちの農園の昼下がりだった。
私は新しいモスリンのドレスを着ていて、その花柄の緑色は、私の瞳と同じ色だった。スカートをふくらませるためのパニエの上には十二ヤード(十一メートル)の裾がたっぷり波うっていたから、双児は踏まないようにとても気遣っていてくれた。
私のウエストは十七インチ(四十三センチ)だ。コルセットできつく締めつけているといっても、このあたりの三郡の女たちの中でもいちばんの細さを誇っていた。ウエストをきゅっと締めているから、その分胸が強調される。私は十六歳にしてはとても豊かなふくらみを持っていた。そして腕も胸元もマグノリアの花のように白い。
こんな私に恋をしない男の人がいると思う?
タールトン家の双児は、私の両脇に座り、私への称賛に満ちた視線を送っていた。彼らもそう悪くない。このあたりでタールトン家の双児といえば、ハンサムなことで知られていた。身長は六フィート二インチ(百八十八センチ)もあり、乗馬で鍛えたたくましい体を持っていた。陽気で傲慢なところも私ととても気が合う。勉強が大嫌いで、あまりものごとを深く考えないところも私と同じだった。二人は私より三つ上の十九歳だ。
彼らのママは、
「いつかあの娘をめぐって、銃で射ち合うんじゃないか」
と心配しているらしい。あのママは、私のことが大嫌いなのだ。大切な息子のどちらか一人が、私に奪われないかと心配している。が、そんなことはあるはずがない。私はただこの二人とふざけ合うのが好きなのだから。
二人は昨日、ジョージア大学を放校になったばかりで、そのことをジョークの種にしていた。大学を追い出されたのはこれで四度めだ。ヴァージニア大学、アラバマ大学、サウスカロライナ大学も、彼らを見放したのだ。驚いたことに、彼らの二人の兄も、弟たちを追い出した学校にはいられないと、実家に帰ってきてしまった。タールトン家の息子たちは、揃いも揃って勉強が大嫌いなのだ。笑ってしまうくらいに。
そういう私も、一年前に女学校を卒業してから本に触れたことはない。本なんか読んで何が楽しいんだろう。世の中はこんなに面白いことに満ちているのに。どうして昔の人のことを知らなくてはならないんだろう。
私は彼らにちょっとお説教じみたことを口にする。もちろん本気ではない。話の流れというもの。
「どこの大学も長続きしないなんて、どういうこと。これじゃあ一生卒業は無理ね」
「卒業出来なくたって、どうってことないよ」
ブレントは言った。
「どっちみち、学期が終わる頃には、こっちに戻ってこなくちゃいけないしさ」
「えっ、どうして」
「戦争だよ。決まってるじゃないか」
彼はその言葉をとても楽しそうに発音した。
「いつ戦争が始まるかわからないっていう時に、僕たち兄弟が大学にじっとしていられると思うかい」
「戦争なんかあるわけないでしょう」
私はすっかり腹を立てた。
「みんな口で言ってるだけよ。もうじきワシントンに行ってる使節団がリンカーンと話し合うのよ! それから、えーっと……」
それ以上のことはうまく説明出来ない。いずれにしても私の大嫌いな話題だった。
「リンカーンとは合意するに決まってるのよ。北部人は私たちが怖くて仕方ないんだから、向かってこられるはずがないじゃないの」
そして私は声を張り上げ、こう宣言した。
「戦争なんてありっこないし、私はもうその話にはあきあきしてるの。だからもうこれでおしまい」
ところが今日に限って、双児は私に反抗した。男というのは本当に戦争が好きで仕方ないのだ。
「スカーレット、もちろん戦争はあるんだよ」
スチュワートがおごそかに言った。
「いくら北部人たちが僕らを恐れているからって、戦わないわけにはいかないさ。世界中から臆病者の烙印を押されるからね。いいかい、僕ら南部連合は……」
私はついにかんしゃくを起こした。
「今度、戦争って言葉を口にしたら、私はもう家に入ってドアを閉めるわよ。この頃、うちに訪ねてくる人たちもね、朝から晩まで、州の権利がどうした、サムター要塞だ、リンカーンだ、何だって、もううるさくてイヤになっちゃうわ。お父さまたちばっかりじゃなくて、男の子たちまで戦争と騎兵隊の話をするから、パーティーに行ってもちっとも楽しくないわ。本当に、あと一ぺん、戦争って口にしたら、私、本当に家に入っちゃうからね」
とにかく私は、自分が中心になれない会話が大嫌い。戦争なんて話題は、私がいちばん苦手とするものだ。もうこれ以上、口にしないでほしい。
双児は顔を見合わせて、もうこれで戦争の話はやめようというように頷き合った。
「それよりも、明日のウィルクス家のバーベキューパーティーの話をしましょうよ」
ウィルクス、という名前を発音するたび、私の胸には甘やかなものがわき上がる。それは絶対に目の前の二人に気づかれてはならない。いや鈍感ということにかけて、この二人にかなう者はいないから大丈夫だろうけど。
「明日は雨が降らないといいわね。このところ雨が多いでしょう。バーベキューをテラスの中でするぐらいつまらないことはないもの」
「明日は絶対にいい天気だよ。ほら、見てごらん。あの夕陽。あんな赤いの見たことがないもの」
スチュワートが指差し、私たち三人は赤く染まった地平線を眺めた。そこはどこまでも続く私のお父さまの綿畑だった。ジョージアのこのあたりは赤い大地だ。もう畑の畝づくりは終わっていて、種を蒔くばかりになっていた。
怖いぐらいに赤い大地。雨の後は血のように赤くなるし、乾燥すると煉瓦くずのように見える。お父さまはいつも言う。ここほど綿花づくりに適した土地はないのだ。この赤い土が、私たちに富と幸福をもたらしてくれるのだと。
私たちはなぜかいつまでも、その赤い土地に落ちていく赤い夕陽を見つめていた。もしかすると私たちは、何かを予感していたのかもしれない。
やがてテラスに座る私たちに、ひづめの音と馬具の鎖が揺れる音、黒人たちの笑い声が届いた。一日の畑仕事を終え、帰ってきたのだ。お母さまの声がする。黒人の子どもを呼んでいるのだ。屋敷の中から、召使い頭が食器を並べる音がする。
私はお母さまから、
「もしタールトン家の方々を夕食にお招きするなら、早めに言って頂戴」
と言われていたことを思い出した。
私はちょっと迷う。夕食の席で彼らが、お父さまと戦争の話をしないとは保証出来ないからだ。
「ねえ、スカーレット、明日のことだけど」
ブレントが夕陽から目を離して、私の方を向いた。
「いくら僕たちが家を離れていて、バーベキューとその後の舞踏会のことを知らなかったっていっても、ろくにダンスを踊ってもらえないなんてあんまりだよ。君だって全部の曲の約束をしてるわけじゃないんだろ」
このあたりの男の子が、私と踊りたがって競うことといったらあさましいほどで、みんな一曲でもいいからと懇願する。
「あら、約束しちゃった。あなたたちが帰ってくるなんて知らなかったんですもの。来るか来ないかわからない人を待って、壁の花になるなんていやだもの」
「君が壁の花だって」
双児は声を合わせて、げらげらと笑った。
「スカーレット、お願いだよ。最初のワルツは絶対に僕と、最後のワルツはスチュワートとね。それから夕食も僕たちと一緒にとってくれよ」
とブレントが言った。
随分図々しいわ、と私は思った。それってまるで私のフィアンセのようにふるまうことじゃないの。だけど双児というのは便利で、二人と仲よくしていれば、他の男の子たちの嫉妬も半分で済む。噂も立たない。
「考えておくわ」
つんとして私は答えた。
「約束してくれたら、秘密を教えてあげるよ」
スチュワートが意味ありげに笑いかける。
「秘密ですって?」
どうせこの二人の秘密なんてたいしたことはないはず。しかし知らないのは癪にさわる。
「スチュワート、それって昨日アトランタで聞いた話だろ。誰にも言わないって約束しなかったかい」
「まあ、そうだけど。どうせすぐにわかることだし」
スチュワートの方は、喋りたくてうずうずしていた。
「昨日、僕らがアトランタで列車を待っている時、ピティおばさんの馬車が通りかかってさ。ほら、アシュレ・ウィルクスのいとこのチャールズとメラニー兄妹の叔母さんだよ」
「ああ、あの人。私が今まで会った中で、いちばん頭の悪い人よね」
小柄な、いつもボンネットをかぶっている中年の婦人を頭にうかべた。アシュレ・ウィルクスとメラニーの家とは、親戚が入り組んでいるのだ。
「あのおばさんが教えてくれたんだ。明日ウィルクス家のパーティーで、婚約発表があるって」
「なあんだ」
私は肩をすくめた。
「そんなの知ってるわ。メラニーのお兄さんのチャールズ・ハミルトンと、アシュレの妹のハニーが結婚するんでしょう。あの二人が結婚するなんて、百年前からみんなが知ってるわよ。チャールズの方はあんまり乗り気じゃないらしいけど」
くすっと笑った。ハニーは平凡な顔立ちで背が低い。まるっきりサエてないうえに、とても意地が悪い女だ。私のことが大っ嫌いで、いつもパーティーで無視しようとする。もっともチャールズの方も、色がやたら白い女の子みたいな人だから、お似合いと言えないことはないけれど。チャールズはこのところ、私にご執心で、そのこともハニーが私を憎む原因なのだ。
「違うよ。明日発表されるのは、チャールズの婚約じゃないよ。アシュレ・ウィルクスと、チャールズの妹、メラニーの婚約だよ」
その瞬間、あたりの風景が変わった。白く音のしないものになったのだ。何も聞こえてこない。聞きたくないと耳が拒否しているのだ。
「ピティおばさんの話じゃ、本当は来年まで発表を待つはずだったんだって。メラニーの体調がよくないんで。だけど戦争がいつ始まるかわからない、早くしようということで両家の意見がまとまったらしい。さあ、スカーレット。秘密を教えたんだ。明日は僕たちと一緒に夕食をとるって約束してくれよ」
「ええ、もちろん」
私ではない誰かが答えていた。
「ワルツも全曲?」
「ええ」
「それはすごいや。他の男たちが地団駄踏んで悔しがるぞ」
双児は何か言った。え、私は何か約束したんだろうか。よくわからない。
私はもう一度地平線を眺めた。夕陽は既に落ち、川向こうの背の高い木々が影絵のようだった。ツバメが庭を横切り、ニワトリと七面鳥、アヒルがぺたぺたとねぐらに帰ろうとしていた。
「アシュレが婚約する」
その言葉が甦る。嘘だ。私は心の中で叫んだ。そんなことが起こるはずはない。なぜならアシュレは、この世でただ一人、私に愛されているのだから。
(【2】に続く)