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2019.7.11
「いきあたりばったりの旅こそ、私たちの憧れだった」。江國香織著『旅ドロップ』
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エッセーの名手による小さな宝物のような一冊
「いきあたりばったりの旅こそ、私たちの憧れだった」。
2016年から2019年にかけてJR九州の車内誌「Please プリーズ」に連載されたエッセーが単行本になりました。
エッセーの名手が〈旅〉の記憶を、やわらかな言葉で軽やかにつづります。
こちらは本書に収録された珠玉のエッセーです。
‹‹二十代のころ、一人旅のできる人に憧れて何度か一人旅をした。でも意気地なしだったので、一人でレストランに入るのは心細く、食事はデリやカフェ、ときにはスーパーマーケットで買ったもので済ませていた。パンとかハムとか、果物とかトマトとか。
最近は一人旅をしていない――仕事の旅ばかりしているせいで、そういう旅は、たとえ一人ででかけても、駅や空港やホテルで案内役の人が待っていてくれる。そして、食事のたびにおいしいお店に連れて行ってくれる――が、たまに現地で一人になる日があっても、もう昔のように心細くはなく、レストランにでもバーにでも一人で入ることができる。よし、いいぞ、大人になった、と悦に入りたいところなのだが、奇妙な逆転現象が起きていることに気づいた。今度は、なんとデリやカフェに入るのに気後れするようになってしまったのだ。
まず、作法がわからない。セルフサービスなのか、店員さんが来てくれるのか。どのタイミングでお金を払えばいいのか。アサイーとは何か、キヌアとは何か、コールドプレスジュースとは何か。トールとグランデはどちらが大きいのか、エナジードリンクとパワードリンクはどう違うのか。››(「逆転現象のこと」より)
‹‹フランクフルトの街に、私は一度しか行ったことがない。でもフランクフルトの空港には、乗り継ぎのためにずい分たびたび行っている。行ったことのある空港のなかで、フランクフルトの空港が私はいちばん好きだ。大きくて気持ちがいいし、カフェもお店もたくさんあって愉しい。構造も表示も機能的で、迷子になりにくいのも嬉しい。でも、それだけじゃなく、乗り継ぎのための時間というものが、そもそも私は好きなのだろう。それは出発地でも目的地でもない場所であり、出発前でも到着後でもない時間だ。その中間のどこかに、ぽっかり出現する時空間、しかも外国。乗り継ぎの空港にいるとき、私は自分を、そこにいるのにいないもののように感じる。座敷わらしみたいに。そして、どこにでも行かれると感じる。その気になれば、目的地以外の場所にだって行かれるのだと。››(乗り継ぎのこと、あるいはフランクフルトの空港の思い出」より)
‹‹考えてみれば贅沢で無謀な旅だった。帰る日も決めず(お金の続く限りいようと思っていた)、泊る場所も決めず(いきあたりばったりの旅こそ、私たちの憧れだった)、言葉もできず、でもともかく可能な限りいろいろな乗り物に乗り、可能な限り遠まわりをして、アフリカ大陸に行こうとしていた。......アフリカ行きは、私と彼女のはじめての旅だった。二十一歳だった。››(「トーマス・クックとドモドッソラ」より)
旅をした場所と空気、食べ物、そして出会った人々や動物たち――
このエッセー集は、ちいさな物語のよう。
時も場所も超えて、懐かしい思い出に、はるかな世界に、連れ出してくれます。
37篇の旅エッセーに加えて、同じ〈旅〉をテーマにして書かれた長めのエッセー「トーマス・クックとドモドッソラ」、さらには、詩を三篇(夜の新幹線はさびしい/軽く/ウィンダ)収録。
旅のお供に、ぜひ。
旅に出たいときや、旅の思い出に浸りたいときにも、お手にとってみてください。
著/江國香織
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