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2019.3.6
大ヒット上映中!『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の脚本を担当した辻村深月さんインタビュー全5回を公開!
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3月1日公開『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の脚本を担当した辻村深月さんが、自らの手で映画のノベライズに挑戦しました。『かがみの孤城』で2018年本屋大賞を受賞後、初の書き下ろしとなる長編冒険小説です。大の『ドラえもん』ファンとして知られる辻村さんは、いったいどんな思いで物語を紡ぎ、キャラクターに命を吹き込んでいったのでしょう? 全5回でご紹介します。
【第1回】
小さい頃から『ドラえもん』の大ファンでした。
私が小さな頃、テレビで放映した『ドラえもん』の映画を父が録画していてくれたんです。ビデオテープの余った部分には、テレビアニメの『ドラえもん』を入れてくれたりもして。とくに私は「のび太の宇宙開拓史」がお気に入りで、何度も何度もテープがすり切れるくらい毎日のように見ていました。
うちに来れば『ドラえもん』のビデオがあるからと、近所の子どもたちがみんなやって来て一緒に見るような、そんな家でした。『ドラえもん』の映画を見ることに関しては、すごく恵まれた家でしたね。
初めての劇場映画は、小学校に上がる年の春に父と二人で見た「のび太と鉄人兵団」。大きなスクリーンで映画を見たことがなかったのでとても驚いたこと、そして映画にものすごく感動したことを漠然と覚えています。後で父から「おまえ、泣いていたんだぞ」って言われたんですね。それがどうやら、怖くて泣いている泣き方じゃなかったと。自分自身が映画を見て泣いたことよりも、父がそのことをうれしそうに話していたことを、いまでもよく覚えています。
『ドラえもん』という作品には、自分が小っちゃいときにどんな見方をしていたのかという思い出が、家族の数だけあるんでしょうね。そんなところも魅力の一つだと思います。
『ドラえもん』を小説で書く意味ってなんだろう?
映画の脚本を書き進めているとき、藤子プロさんから「小説も書いていただけませんか?」と依頼されていたんです。ただ、そのときはすぐに「書きます」とは言えませんでした。マンガやアニメであれだけ面白い『ドラえもん』をあえて小説で書く意味ってなんだろうと…、その答えがなかなか見えてこなかったんですね。
そんなとき藤子プロさんから「小説家である辻村さんにしか表現できない世界があると思うんです」と言われ、そこで初めて自分でも『ドラえもん』を小説で書くということに向き合ってみたんです。脚本ができあがると、監督をはじめスタッフのみなさんはそれから1年半をかけ、公開に向けて映画を作り続けます。私も小説を書くことで、もう一度この物語に向き合う機会をもらえたのだと思います。
最初の1行、「月は、人が生きるには過酷な世界だ」という一文が自然と出て来た時、「あっ、これは脚本とは全然違うものだ」と気づいたんです。ただ脚本のストーリーやセリフをなぞるのではなくて、映画とは違うアプローチで演出まで自分で書くことなんだと。自分の本来の場所に帰ってきた感じがしました。脚本をベースに監督が映画を撮るように、私は私で、もう一つの映画を撮るような気持ちで小説の中に飛び込んでいったんです。映画と小説の両方をそれぞれの角度で楽しんでもらえたら、とてもうれしいですね。
それにしても、藤子・F・不二雄先生って本当にすごい! もともと偉大な、すごい方だと知っていたはずなんです。そう思っていたからこそ脚本を引き受けるかどうかもあんなに迷っていたのですが、実際に自分で『ドラえもん』のお話を書いてみたら、先生に近づくどころか、より遠ざかったというか…。長年にわたって本当にすごいお仕事を、締め切りがあるなかで日常的に続けてこられた漫画家さんだったんだなと。映画の仕事を通じて、より尊敬の気持ちが高まりました。[第2回につづく]
『小説 映画ドラえもん のび太の月面探査記』
原作:藤子・F・不二雄 著:辻村深月