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2022.6.3

寬仁親王殿下のありのままの姿を伝える。『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince』

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キーワード: 皇室 皇族 寬仁親王殿下 彬子女王殿下 エッセイ コラム 日記

寬仁親王殿下のありのままの姿を伝える。『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince』

現代皇族は何を考え、どのように暮らし、そして生きられたのか?

寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)が薨去されてから10年。

殿下が生前、30年にわたり書き続けてこられた貴重なエッセイが、全608ページの書籍になりました。

 

«父のモットーは『正直』だった。学習院院長であった安倍能成(あべよししげ)先生の「正直であれ」という言葉を子どもの頃から大切に思っておられたそうで、ああ見えて嘘はつかれない方だったし、周りから煙たがられても、正直に思ったことを発信してこられた。癌やアルコール依存症という事実を公表してこられたのも、このような思いをお持ちだったからである。本書には、自分に正直に、皇族として、ひとりの人間として、66年の生涯を生き抜かれた寬仁親王のありのままの思いが詰まっている。

(本書「はじめに」より)

 

寬仁親王殿下の第一女子でいらっしゃる彬子女王殿下(あきこじょおうでんか)がそう書かれるように、本書には、ひげの殿下として愛された寬仁親王殿下のありのままの姿が描き出されています。

 

●『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』を読み解く7つのキーワード

 

1.ニックネームの〝とど〟を描いたカバーは自画像

副将としていばり返っていた頃、偶然どこかの動物園からトドが逃げ出して隅田川に入り、上流に遡ってしまったことがある。トドというのは人畜有害であり危険な動物であるから、自衛隊の狙撃班が出動して何発も撃ち込んだあげくに、やっとトドメをさす事ができた。このニュースを読んだ同級生部員が、『自意識過剰でケンカっ早く、何にでも反抗して救い様のないミカサは、人畜有害のあのトドと同じだ!』といい出したのが私のあだ名の由来である。

(「とどの由来」より 1980. 10. 19)

 

2.100% written by Prince Tomohito of Mikasa

第1号から第3号までの原稿は例会場であったり元赤坂の家で書いたりしたが、この号からは三番町の難しくいうと御仮寓所なる所で書くことになると同時に、今号が我が独身最後の原稿書きとなるわけで、本三冊を始めとしてあらゆる所に原稿を書いてきた私としては、いささか感慨深い思いでこれを書いている。

(「五回目の引っ越し」より 1980. 11. 16)

 

3.共生社会を先導した柏朋会とは?

柏朋会は、昭和五十四年四月、身障友の会応援団が名称変更して、発足したものである。

会のモットーは、障害のある者もない者も、共にボランティアをすることによって、社会に役立つべく、能力開発をしていこうというものである。我が国の福祉は永い間恵まれている者から、そうでない者に対する一方通行の行為が多かった。例えば、行政体から身障者へ、お金持ちから貧乏な人へ、健常者から障害者へという風に……。別の云い方をすれば健常者による同情心やほどこしの気分をベースにした行為があり、極論すれば差別になってしまう。(「柏朋会とは?」より 1980. 08. 17)

 

4.ひげの殿下と愉快な仲間たち

私は少し違っていて、「趣味は何か?」と問われれば、文句なく「人間」と答えますし、「貴方の財産は何ですか?」と聞かれたら、間違いなく、「私の財産は、国内外に無数に居る友達」と答えます。

(「人間を大切にする心」より 2001. 09. 30)

 

5.30年にわたって綴られた素顔

まずお詫びを!本来九月三十日発行予定の第111号が、私の十四回目の癌手術・入院の為延期せざるを得なくなり、本年の最終号を迎えてしまいました。編集長として誠に遺憾に思います。初めての事とて、平に御容赦願い上げます。二十年間に十四回というのは、いかにも確率が悪いと思いますが、本人としては罹患する以前から、我が一族は癌に罹り易いDNAを持っていると判っていましたので、皆様が思われる程驚いてはいません。

(「近況雑感」より 2011. 12. 20)

 

6.克明に記されたがんとの闘い

「音声」を残すか、「食」を残すかについては、随分悩みました。前述のごとく一昨年から判っていた事ですから、時間を掛けて真剣に考えていた訳ですが、結局の所、「音声」を残しても、「食」が栄養剤のみになって、フラフラ状態で入退院を繰り返す等という状態になるよりは、身体は丈夫で、「音声」が無いという方が私にとっては良いと思うに至りました。(「ヴァイブレーター(人工喉頭)」より 2009. 03. 31)

 

7.彬子女王殿下の父への思い

父の独身時代から、亡くなられる間際まで書き続けてこられたコラム。社会福祉のことはもちろん、日常の些細なできごとから、周囲のご友人、宮家職員、警察の人たちとのエピソード、娘たちの成長日記、公式行事のこと、お好きだったスキーのこと、そして度重なった癌との闘病のこと……父がそのときに感じられた様々なことが日記のように書き綴られている。会報でその都度読んできた文章だけれど、まとめて読むと、懐かしさと共に、そのときの父の思いが生々しく伝わってきて、胸に迫るものがあった。

(「はじめに」/彬子女王殿下より)

 

1980年から2011年にかけて発刊された、寬仁親王殿下が会長を務められた柏朋会(はくほうかい)の会報誌『ザ・トド』に掲載されたエッセイ「とどのおしゃべり」を再構成。

 

柏朋会(はくほうかい) 会報誌『ザ・トド』創刊号より

 

日頃触れられることが少ない、現代皇族の生の声を伝える資料として貴重な一冊です。

 

『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince』

文/寛仁親王  監/彬子女王

 

【著者プロフィール】

寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)

1946年1月5日、大正天皇第四皇子である三笠宮崇仁親王の第一男子として誕生。1968年、学習院大学法学部政治学科卒業後、英国オックスフォード大学モードリン・コレッジに留学。帰国後、札幌オリンピック冬季大会組識委員会事務局、沖縄国際海洋博覧会世界海洋青少年大会事務局に勤務。「ひげの殿下」の愛称で国民に親しまれ、柏朋会やありのまま舎などの運営に関わり、障害者福祉や、スポーツ振興、青少年育成、国際親善など幅広い分野の活動に取り組まれた。著書に『トモさんのえげれす留学』(文藝春秋)、『皇族のひとりごと』(二見書房)、『雪は友だち──トモさんの身障者スキー教室』(光文社)、『今ベールを脱ぐ ジェントルマンの極意』(小学館)など。2012年薨去。

 

【監修者プロフィール】

彬子女王殿下(あきこじょおうでんか)

1981年12月20日、寬仁親王の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授他。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(PHP研究所)『京都ものがたりの道』(毎日新聞出版)『日本美のこころ』『日本美のこころ 最後の職人ものがたり』(ともに小学館)など著書多数。

 

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