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2018.10.19
【第3回】現役中学生作家・鈴木るりかの第2作『14歳、明日の時間割』〈二時間目 家庭科 空色のマフラー〉を無料公開中!!
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デビュー作『さよなら、田中さん』が10万部! 奇跡の現役中学生作家・鈴木るりかの第2作『14歳、明日の時間割』を発売しました。
矢部太郎さん(カラテカ)のカバーイラストは必見! 高山一実さん(乃木坂46)らが絶賛する本作から、「二時間目 家庭科」を掲載します!
卓球部を辞めてまで家庭科クラブに入ってきた野間くんには、叶えたい夢があった――。
二時間目 家庭科 空色のマフラー[第3回]
十月に入り、家庭科クラブも文化祭の準備が始まった。
展示品の製作やポスター、看板書き、やることは山ほどあった。なかでも好評なのは、手作りクッキーの販売だった。先輩方が残した『秘伝の黄金のレシピ』があり、これがなかなかに美味しいのだ。毎年、これだけを買いに来る近所の人もいた。売上げは、慈善団体に寄付される。
販売用を作る前に、一、二回試作をするのが常だった。
その日がそれに当たった。バターを室温に戻し、粉をふるい、砂糖を計量する。
「小麦粉にアーモンドパウダー入れるの忘れないでね。さっくり、切るように混ぜ合わせて。オーブンは百七十度に余熱ね」
一年の子たちに指導する。野間君も、そのなかに混ざり、真剣な顔つきで取り組んでいた。彼は汚れものや生ゴミも手際よく処理し、段取りも細かく私は感心し通しだった。
家庭科室が甘い匂いで満たされる。焼いているときのこの香りも、お菓子作りの楽しみのひとつだ。幸福の匂いそのものだ。
焼きたてを食べられるのも嬉しい。冷めても美味しいが、できたてはまた格別だ。
「あつっ。でも、おいしっ」
言いながら食べる。
「どう?」
野間君に訊いてみる。
「美味しい。今まで食べたクッキーのなかで一番美味しい」
下校時間が近くなったので、残ったクッキーは持ち帰り用に紙袋に入れ部員に渡す。
家庭科室の棚の鍵を返す当番だったので、帰りがてら職員室に寄ろうとすると、野間君も提出物があるというので、一緒に行く。
一階の外通路を歩いていると、ほかの部も終わったところで、水飲み場に卓球部の部員たちが固まっていた。
一瞬、どうしようかと思ったが、野間君は表情を変えることなく、歩いていく。卓球部員のひとり、同じ二年の谷君がこっちに気づき、
「おっ、野間。久しぶりじゃん。どうだよ、家庭科クラブはよ」
ニヤニヤしながら声をかけ、目の前に立ちはだかった。
「おまえ、女子と編み物やったり、料理作ったりして楽しいかよ? 卓球するより楽しいかよ?」
野間君は黙っている。
「結局アレだろ? 厳しい練習が嫌になって逃げたんだろ?」
野間君が、無視して脇を通り過ぎようとすると、
「おいっ、なんとか言ってみろよっ」
谷君の腕が野間君の肩を掴んだ。
その拍子に、バランスを崩した野間君が紙袋を落とし、中のクッキーが二、三個飛び出した。それを見て、頭にかっと血がのぼる。
「ちょっとーっ、何するのよっ」
思わず叫んで、谷君を睨みつけると、
「いーち、にーっ、さんっ」
声がして、見ると、陸上部の中原君が落ちたクッキーと紙袋を拾い上げていた。
「今の、三秒ルール、ギリOK?」
クッキーにふっと息を吹きかけると、口に放り入れた。
「え、それ、落ちたやつだよ。大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫、これくらいでどうにかなってたら、人類とっくに滅んでます。それより何これ? すんげぇうまいんだけど?」
中原君は、躊躇することなく二枚目を口に入れる。
「これ、野間が作ったの? すげぇ。天才じゃん。マジうま。谷も食ってみろよ」
谷君に袋を差し出す。
「い、いいよっ」
谷君は、ぷいっと横を向くとそのまま行ってしまった。
「せっかく落ちてないほうやろうと思ったのに」
中原君が笑った。
「あ、ありがと、中原」
「何が? こっちこそ、ありがとっていうかごちそうさん。部活の後は、甘いものがしみるな。でもこれホントにうまいよ。売れんじゃね?」
また一枚食べる中原君。
「それ、売るのよ。文化祭で」
「あ、そうなんだ。じゃあ俺予約しようかな、野間が作ったやつ」
「部員、全員で作るんだよ」
「そっかー、じゃあ俺絶対買いに行くワ」
残りのクッキーが入った袋を、野間君に返す。
「いいよ。それ、やるよ」
「やった。ラッキー」
本当に嬉しそうに笑うので、野間君と顔を見合わせ私たちも笑ってしまった。
文化祭の日がやってきた。
やはりクッキーが人気でよく売れた。私と野間君が店番をしていたときに、約束通り、中原君が買いに来てくれた。
「五袋、お願い」
「え、そんなに?」
「この前の、兄貴もうまいって言ってたからさ」
「ありがとう、中原」
野間君が言い、笑顔を見せたが、それが不意にこわばった。視線の先を見ると、谷君が家庭科室に入ってきたのだった。一瞬、緊張が走る。谷君は私たちの前まで来ると、
「これ、二つ」
クッキーの袋を指さす。
「あ、はい、ありがとうございます。二百円です」
私がお金を受け取り、野間君がクッキーの袋を渡す。
「ありがとう、谷」
谷君は、唇の端をちょっと上げて頷くと行ってしまった。
横で見ていた中原君が、親指を立ててニッと笑った。
文化祭は盛況のうちに終わった。
去年よりも来場者数が多く、展示物も好評で、クッキーも完売した。
片付けも、力仕事を積極的に野間君が引き受けてくれて、みんな改めて男子部員のありがたみを確認した。
部活日誌を書き終え、職員室に届け、家庭科室に戻ってくると、まだ野間君が残っていたので、自然と二人で帰るかたちになった。
帰り道は途中まで同じだけれど、一緒に帰るのは初めてだった。
「どう? 家庭科クラブは?」
私が訊くと、
「楽しいよ、すごく」
屈託ない笑顔を見せる。
「なら良かった。でもどうして家庭科クラブなの?」
本当は、なぜ卓球部をやめたのかストレートに訊きたかったのだが、やはり躊躇するものがあった。
「家庭科が好きだからだよ。僕さ、家庭科の先生になりたいんだよ」
「えっ、家庭科の?」
「そう、家庭科教師」
「え、男の人で? 男の人が家庭科の先生ってなれるの?」
「なれるよ。前にテレビに出てた。数は確かにすごく少ないらしいけど」
「そうなんだ。知らなかった。でもシェフは男性が多いし、編み物や洋裁で有名な男の先生いるもんね。男の人が家庭科の先生でもおかしくないよね。でもなんで学校の先生なの? 料理や裁縫が得意なら、料理人やデザイナーの道もあるのに」
「学校の先生は、僕のお母さんの夢だったんだ。でもいろいろ事情があってなれなかったから、僕が叶えてあげようって思ってさ。それで自分の得意な科目、好きな科目はなんだろうって思ったとき、家庭科だったんだ」
「やさしいんだね、野間君は。お母さんとか、妹さん思いで」
「別に、それほどじゃないけど。伊藤さんこそ、将来、家庭科の先生になったらいいのに。料理も裁縫も上手だから」
「えーっ、考えたことないなあ。でも家庭科は好きだから、それもいいかも」
「そうだよ。なろうよ。そしたら将来同じ学校で働いてたりして」
「それはどうだろ。家庭科の先生って、だいたい各学校ひとりじゃない?」
「そんなこともないみたいだよ。うちみたいな田舎の小さい学校は確かにひとりだけど、大きい学校には二人ぐらいいるらしいよ」
「そうなんだ。さすが詳しいね」
確かにやさしくて器用な野間君に、家庭科の先生は合っているような気がした。
「で、また家庭科クラブの顧問になって」
私が笑いながら言うと、
「秘伝黄金レシピのクッキーを売りまくる」
野間君が受け、二人して笑った。
それからなぜ私が家庭科を好きかという話になり、それは母のエピソードにつながり、『モモちゃんの呪い』のくだりに、野間君は大笑いした。
「あ、うち、ここだから」
野間君が指さした先に、三階建てのマンションがあった。
「うん。じゃあ、また」
私が言うと、野間君もニコッと笑い背を向け歩き出す。その背中を見ながら、意外に肩幅があるんだな、と思った。
(つづく)
『14歳、明日の時間割』の二時間目家庭科を5回に分けて無料公開します!