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2018.9.12
昭和13年、横浜のキングといえば、この人のこと。『横濱王』
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今の日本に、こんなリーダーがほしかった!
大正12年9月1日、13歳のシュウの人生が激変した。
船の荷下ろしをする沖仲仕の仕事をしている最中、関東大震災が起きたのだ。
親方や異国の船長によって助けられたシュウは、妹を捜しに瓦礫の中を走り始めた。
時は変わり、昭和13年、青年実業家の瀬田修司は横濱に降り立った。
関東大震災から復興した横濱は、ジャズが流れモガ・モボが闊歩する華やかな文化あふれる国際都市。
事業の景気がなかなか上向かない瀬田は、日中戦争の軍需に食い込むため、軍部のフィクサーと接触する。
しかし、その男から横濱一の大実業家である原三渓(さんけい)が出資するような会社であれば相手にする、とばっさり切り捨てられた。
瀬田は原三渓からの出資を得ようと、三渓の弱点について調べ始める。
実業家としての三渓は、富岡製糸場のオーナーであり「生糸王」の異名を持っていた。
関東大震災では、復興の先頭に立ち私財をなげうって被災者の救済にあたった。
また、稀代の数寄者として名を馳せ、茶の湯に通じ、「西の桂離宮、東の三渓園」と言われる名園を築いた文化人。
前田青邨や小林古径など、日本画家の育成を支援・・・・・・と、いくら調べても交渉材料となるような醜聞は見つからず、瀬田は苛立つ。
やがて「電力王」として知られる実業家、松永安左ヱ門に会った瀬田は、松永の仲介で三渓に会うことが叶う。
「何がしたいのか」
三渓から聞かれた瀬田は「軍と組んで金儲けをするために、強力な後ろ盾がほしい」と単刀直入に伝えた。
‹‹「そういうことを聞いているのではありません」
三渓はそう言った。瀬田は思わず三渓から視線を逸らした。
得体の知れない問答を仕掛けられていることに気づき、胸がざわめく。そのざわめきを振り払うように、瀬田はぐいっと顔を上げて三渓を睨むように見据えた。
「では、何が正解でしょう」
瀬田は立って問いかける。
三渓はその瀬田の問いかけに対して、揺らぐことなく頷いた。
「正解などありません。そうあるべきことなど、何もありません。ただ、貴方は貴方の天命を語ればよろしい」
「天命」
瀬田は反芻する。三渓はただ黙って、瀬田の次の言葉を待った。瀬田は口の中で何度かその、天命、という言葉を確かめるように呟いて、思わず自嘲するように笑った。
「そんなもの、ありません」
瀬田はそう言って三渓を見やる。三渓は表情を変えない。瀬田はその三渓を見ていて苛立った。››
三渓と話を交わすことで、少しずつ考えを変えていく瀬田。
じつは少年時代の瀬田には、三渓にまつわる忘れ得ぬ記憶があった・・・・・・。
現代に求められるリーダー像を描いた長編小説。
解説は文芸評論家の細谷正充さんです。
「本書は関東大震災が起きた横濱から始まり、終戦直後の焼け野原となった横濱で終わる。つまり二度にわたる横濱の崩壊が扱われているのだ。関東大震災後の横濱の復興は本書で描かれており、戦後の復興は現在の横浜を見れば明らかである。何度叩き潰されようと立ち上がる人間の姿が、そこにあるのだ」
著/永井紗耶子
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