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2016.12.16

松田聖子、宇多田ヒカルよりずっと前、箏(そう)を武器にして全米を制した音楽家がいた! 『奇蹟の爪音(つまおと)』

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キーワード: 音楽 エンタメ 人物評伝

松田聖子、宇多田ヒカルよりずっと前、箏(そう)を武器にして全米を制した音楽家がいた!  『奇蹟の爪音(つまおと)』

1200年の歴史をもつ楽器、筝(そう)!

 

お正月になると必ず耳にする楽器、箏(そう)。

箏は、「こと」とも読みます。

現在では、「琴」の字を使うこともありますが、

箏(そう)と琴(きん)はもともと違う楽器です。

筝は十三弦、琴は七弦のものをさします。

平安時代には貴族がたしなむものとされ、

「源氏物語」では、

光源氏が「琴」を得意とするのに対し、

明石の君が「筝」の名手として描かれています。

 

戦後まもなく、筝ひとつで全米制覇!

 

1200年の歴史と伝統のある筝の世界に、

かつてひとりの異端児がいました!

その男の名は、衛藤公雄。

松田聖子、宇多田ヒカルなど

数々の日本人アーティストが

アメリカでの成功を目ざして渡米しましたが、

衛藤公雄は戦後まもない1953年、

筝ひとつを手に敵国であったアメリカへ行き、

その音色で人びとを魅了!

しかし、その偉業はほとんど知られていません。

 

衛藤公雄は1924年生まれ。

幼時に失明するも、箏に才能を発揮し、

宮城道雄に入門、14歳で師匠に。

戦後、箏でジャズを演奏するなどの

活動が一部で批判され、

29歳のとき、アメリカに渡って、

日本国内ではかなわなった

初リサイタルをロサンゼルスで開催。

その後も、日本人ふたり目となる

N.Y.のカーネギーホールで

リサイタルを開き、

リンカーンセンターの

フィルハーモニック・ホールでは

東洋人初のリサイタルを催しました。

また、日本武道館で、

ビートルズ公演に先駆けて、

初の音楽演奏会を開催。

4枚のアルバムを発表!

  

死後4年を経て、スポットを浴びる! 

 

1967年に帰国してからは

後進の指導に邁進し、2012年逝去。

死後4年を経て再評価の気運が盛り上がり、

2016年11月、日本伝統文化振興財団から、

秘蔵音源をデジタル復刻した

「奇蹟の爪音 箏のレジェンド―衛藤公雄」が

発売されました。

 

本書は、国内では不遇であった

世界的筝曲家の闘志と葛藤に

満ちた生涯を描いた物語です。

グローバル化やフロンティア精神が

さけばれるいま、

彼の人生を知ることは、

多くの日本人に、勇気とチャレンジ精神、

そして、生きる力を与えてくれます。

 

『奇蹟の爪音

アメリカが熱狂した全盲の箏曲家 衛藤公雄の生涯』

著/谷口和巳

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