日本美術全集

全20巻

推薦者の言葉

塩野七生氏
塩野七生氏

この春に帰国したときに、上野で開かれていたボストン美術館所蔵の日本美術の帰国展を観たのだが、あれには驚嘆した。展示されていた個々の作品の見事さに驚いたというよりも、日本の造形美術には断絶期がなく、昔からずっとつづいていたのだということに気づき、そのほうに驚嘆したのである。

造形美術も、人間の創造性の噴出だ。しかし、いかに個々の天才による噴出でも、突然に孤立して現れるのではなく、延々と流れていた水脈があるとき誰か一人の強烈な想いによって突如噴き出す、というのに似ている。歴史と同じで造形美術の世界でも、断絶は敵なのである。

あのときの展覧会で他のどれよりも私の眼を釘づけにしたのは「平治物語絵巻」だったが、あれが描かれた頃のヨーロッパは十字軍の時代。「十字軍絵巻」が描かれて当然なのに、そのようなものはない。絵巻にして残したいという想いが、中世のヨーロッパ人になかったのではない。絵ではなく刺繍だが、平治の乱とほぼ同じ時代に作られた、ノルマン人によるイングランド征服を題材にした長大な絵巻が現存する。ただし、あれと平治物語絵巻を比べれば、その差は一目瞭然だろう。暗黒の中世とも呼ばれる中世のヨーロッパでは、文化文明ともが「断絶」を経験していたからだった。

ではなぜ、断絶は起るのか。私の想像にすぎないが、あの時代に生きた人々のもっていた宗教観のちがいによるのではないかと考えはじめている。つまり、日本人にとっての信仰は、キリスト教やイスラム教とちがって、人間性をがんじがらめにし、それによって人間の創造性の自然な噴出を押えこんでしまうたぐいのものではなかった、とでもいうように。美術全集にも、種々の「賞で方」があるように思う。

塩野七生(しおの ななみ)

作家。1937年7月7日、東京生まれ。
学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006年に完結)。1993年、『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008–2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊完結。