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2019.9.5

「戦後最大のフィクサー」と呼ばれた男の自叙伝『海峡に立つ 泥と血の我が半生』

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「戦後最大のフィクサー」と呼ばれた男の自叙伝『海峡に立つ 泥と血の我が半生』

在日部落、愛と青春、逮捕、逃亡生活・・・・・・許永中が自身の半生を初めて綴る。

イトマン事件から28年。

あの許永中氏がついに自叙伝を出版した。

 

‹‹私の人生は、「在日韓国人」という生まれを抜きにして語ることはできない。大阪のど真ん中、戦前戦後を生き抜いた在日一世や多くの友人に囲まれ、貧困と差別の中を揉みくちゃにされながら駆け抜けて来た。

「戦後最大のフィクサー」「闇社会の帝王」と、いつの間にか数多の枕詞が作られ、それらの言葉を伴って私が語られるようになって久しい。

在日同胞の中には、これに嫌悪感を抱く人もあるだろう。しかし、戦後という時代に在日の歴史を重ねて俯瞰したときに、その環境ゆえ表と裏の狭間で生きざるを得なかった人々が確かにいた。

私という物語の中には多くの在日同胞が登場し、そして消えていく。その全てに、貧困と差別が宿痾として絡み合う。

そして同時に、我々民族の性(さが)ともいうべき〝骨肉の争い〟を引き摺り、祖国のそれとは違う在日という独特の「恨(はん)」を織りなしていった。››

 

著者は1947年、大阪市大淀区(現北区)中津で生まれた。

大阪弁でイタズラ坊主、悪ガキを意味する〝ごんたくれ〟だったという著者は、「どんな環境も自身の血肉にするズル賢さという名の適応能力」で、表社会と裏社会の狭間をのし上がっていく。

政財界を縦横無尽に駆けまわり、「戦後最大のフィクサー」と呼ばれるようになった許は1991年、バブル経済事件史に刻まれるイトマン事件で逮捕。00年には石橋産業事件で逮捕され、両事件で懲役13年の刑が確定した。

大阪の朝鮮部落で過ごした幼少期の原風景自ら関わった事件の表と裏政財界から暴力団までを貫くその人脈、そして最大の謎とされた2年間におよぶ「保釈中の逃走生活」について、自叙伝では克明に綴っている。

 

‹‹手筈は全て整えてある。金浦空港で協力者と落ち合い、事前に用意してもらったチケットを受け取る。堂々と出国ゲートをくぐり、空路で福岡へ。そして、国内線で羽田へ飛んだ。以降、東京を拠点に、全国各地を放浪する〝大人のかくれんぼ〟が始まった。

仙台を中心に東北地方の有名温泉宿を巡り、時には名門ゴルフ場でコースを回ることもあった。東京ではホテルオークラ、帝国ホテルなど一流ホテルを拠点にし、プールでよく泳いだものだ。帽子にゴーグル、海水パンツ姿の私は、一度としてほかの客に怪しまれることはなかった。

ある日、東京・学芸大学駅前でのこと。当時、1台7万円の自転車を2台購入して、恋人の自宅からよく銭湯に通っていた。私が先に上がり、彼女が出てくるのを出口で待っていた。ふたりで自転車を漕ぎ出し、どこかにご飯を食べに行こうと話していたその時、背後から声をかけられた。

「ちょっとすみません」

交番警察の職務質問だった››

 

本書は、秘密のベールに包まれた男の自叙伝でありながら、濃密でダイナミックな人間ドラマであり、ヒリヒリするようなクライムノベルのような一面も持ち合わせている。

 

『海峡に立つ

泥と血の我が半生』

著/許 永中

 

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