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2018.10.8
青年嵐山光三郎が出会った「人生最大の怪物」とは?『漂流怪人・きだみのる』
この記事は掲載から10か月が経過しています。記事中の発売日、イベント日程等には十分ご注意ください。
明治・大正・昭和を生き抜いた、ハテンコウ学者を描いた痛快評伝!
「翻訳家、旅行家、詩人、作家、コスモポリタン、そして社会学者、という多面体があわさって、きだみのるとなる」。
「悪党芭蕉」「文人悪食」など、文人の評伝シリーズがロングセラーとなっている嵐山光三郎が「どうしても書いておきたかった」という文人評伝が『漂流怪人・きだみのる』です。
きだみのるは「ファーブル昆虫記」の訳者で、戦後「モロッコ紀行」を執筆、雑誌「世界」で連載されていた「気違い部落周游紀行」はベストセラーとなり、渋谷実監督、淡島千景主演で映画化され大ヒットを記録!
45年前、平凡社で雑誌「太陽」の編集部員だった28歳の嵐山は、当時一世を風靡していた77歳の社会学者・きだみのるに、連載の依頼をすることになりました。
ところが、きだの仕事場に呼ばれて行くと、そこには、ひどい悪臭が・・・!?
‹‹おそるおそるドアを開けた。すると異臭がひとかたまりになって襲ってきた。呼吸が苦しくなり咳きこんで、逃げだしたくなった。目がチカチカした。その異臭の奥に、ねぎ、キャベツ、トマト、ニンニクが積んであった。固くなってふたつに折られたフランスパン、みかんの皮、牛乳パック、ラム酒、広辞苑、週刊新潮、フランス語の本、長靴、ゴムゾーリ、書き損じた原稿用紙、万年ぶとん、電気スタンド、トランジスタラジオなど、家庭用品と雑誌と食料が混然一体となって散らばっている。
そのゴミの上に、きだみのるは白髪の坊主刈りで入道のように坐っていた。これほど散らかし放題の部屋を、はじめて見た。野菜や、カビのはえた干物、塩辛の空きビンなどがゴミため場のようにばらまかれていた。カレーライスの皿が食いちらかしたまま、置いてあった。
二部屋ぶちぬいた奥の間にはジャンパーや、コート、シャツがかけてあり、天井から窓ガラスにかけてクモの巣がかかり、窓からさしこむ光を浴びてキラキラと輝いている。壁をヤモリのつがいがさーっと這って段ボール箱のうしろに消えた。
きださんは、どろどろのコールテンのズボンに兵隊バンドを巻き、あぐらを組んでいた。値ぶみするように薄目をあけて、
「やあ、いらっしゃい」
とこちらを睨みつけ、ゴミの山をかきわけるふりをした。ゴミの下の床が見えない。››
きだとの契約は取材費、原稿料込み、連載一回あたり七万円で成立。
当時の雑誌「太陽」では、原稿料の相場は四百字一枚三千円くらい。
嵐山の月給が五万七千円。
破格のオファーでした。
かくして、きだと謎の少女ミミくん(7歳)と一緒に日本列島の小さな村の人々の生活を採集する企画がスタート。
フランス趣味と知識人への嫌悪。
反国家、反警察、反左翼、反文壇で女好き。
果てることのない食い意地(きだみのるの豪快料理レシピも掲載)。
人間のさまざまな欲望がからみあった冒険者、きだ怪人のハテンコウな行状に隠された謎とは・・・?
驚くべきエピソードがこれでもか!と出てくる名評伝です。
新聞各紙、雑誌書評で絶賛の嵐!
平松洋子さん、南伸坊さん、松山巌さんの3氏による解説を特別収録。
「痛快無比の無軌道ぶり。こんな怪人が日本にいたのか。面白すぎてページをめくる手が止まらない」
――平松洋子さん
「おもしろい! すばらしい!
ぼくは近ごろ、老人になったので生活のリズムをなるべく狂わせないように注意深く生活している。読書して睡眠時間を削れば必ず後悔する。私はこの本のせいですっかり寝不足だ。ものすごくおもしろかった」
――南伸坊さん
「著者は出会った頃のきだとほぼ同年齢になり、自由人だった彼を描くと共に、きだと共に旅した日本の小さな村々、旅で出会った個性的な人たちや当時の風俗、つまり七〇年代前半までの日本の面白さを、すべて均質で効率重視の現代から顧みて、追慕したのではないだろうか」
――松山巌さん
著/嵐山光三郎
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