お知らせ
2018.2.10
ちばてつや、18年ぶりの最新作で自身の半生記を綴る!『ひねもすのたり日記 第1集』
この記事は掲載から10か月が経過しています。記事中の発売日、イベント日程等には十分ご注意ください。
満洲生まれのごく普通の少年は、いかにして「あしたのジョー」の国民的作家となったのか!?
いつしか老作家となった漫画家・ちばてつやのもとに、雑誌から執筆の依頼がきた。
最初は断るつもりだったちば。
だが、いつしかその脳裏に、物心ついた頃の満洲の風景が、人生の節目で出会った素晴らしい人々、そしていつも要領悪く悩みながらも表現し続けてきた自分の姿が去来する。
「生まれは東京ですが、すぐに満州へ渡り、6歳まで奉天(現・遼寧省瀋陽)で育ちました。ものすごく寒くて、冬は零下20℃になるので外では遊べません。家で本を読んでいるか、画を描いているしかないんですが、幸い、うちには本がたくさんありました。
初めて漫画を見たのは戦後、満州を逃避行して命からがら日本へ帰ってきてからです。道に落ちていた豆本漫画の〝アラビアンナイト〟を読み、こんなに面白くてわくわくするものがあったと知り、もう夢中になりました」
(発言は『サライ』2017年8月号掲載、本作品連載開始時のちばてつやインタビューより。以下の発言部分はすべて同様。サライ.jpに全文が掲載されている。)
満洲生まれのごく普通の少年は、いかにして漫画家になったのか!?
「満州から戻ると、親がふたりとも栄養失調から病気になってしまい、いろんなアルバイトをしました。ところが、私はどうも要領が悪くてヘマばかり。配達に行けば違う家へ届けてしまい、失敗続きで八方塞がり。でも、いま考えてみると天の計らいだったんでしょうね。あれもダメ、これもダメで、最後に残った漫画だけがお金になったんですから。
改めて自分の人生を振り返ってみると、不思議な何かにずっと導かれてきた気がします。なぜか私には漫画を描く道しかなかった。それも貸本漫画に始まり、少女漫画から少年漫画、さらには劇画へというふうに、ひとつ役割が終わったら、また次の役割へ導いてくれたその何かが 〝てっちゃん、もういいよ。休みなさい〟っていう時が来るんじゃないか。それが自分の死ぬときなのかなと思うし、そのときは〝ああ、私の役目が終わったんだな〟と感謝して逝こうと。それまでは毎日の一生を大事に生きてゆこうと思います」
そして〝戦争〟について。
「描くのは辛いんですが、〝あの戦争はもう二度と繰り返してほしくない〟という気持ちからです。そうしなければ、戦争で死んでいったたくさんの人たちに申し訳ない。可愛い子供の前では優しかったお兄さんやお父さんが、戦場へ行って武器を持たされると人が変わって鬼になってしまう。
戦争の時代を生きた証人として、黙っていちゃダメだ。社会の動きに対して〝危ないから、そっちへ行っちゃダメだ〟、と声をあげないと。私は漫画家だから、どうしたらそれが伝わるか悩みながら描いています」
ちばてつや18年ぶりの最新作、オールカラーショートコミックで今ここに結実!
満洲に生まれた千葉少年が、戦争~戦後という暗い時代に、不思議な人との巡り合わせに導かれてマンガ家を目指す半生の記。
重く暗い時代を背景にしながらも、ワクワク感と切なさが入り混じった、まぎれもない〝ちばマンガ〟に仕上がっている!!
ためし読みはこちら
著/ちばてつや
【著者プロフィール】
●ちばてつや
昭和14年、東京生まれ。本名は千葉徹彌 。幼少期を旧満州・奉天で過ごす。昭和31年、貸本漫画でデビュー。同33年、少女漫画で雑誌連載の世界へ。「ちかいの魔球」「ハリスの旋かぜ風」「あしたのジョー」「のたり松まつ太た 郎ろう」等のヒット作を数多く世に送り出す。講談社児童まんが賞、小学館漫画賞、紫しじゆほうしよう綬褒章、旭日小綬章など受賞歴多数。文星芸術大学マンガ専攻教授。日本漫画家協会理事長。
★こちらもオススメ!
・誰もが知るコミック界の長老が、数々のエピソードを綴ったカラーコミック。『わたしの日々』
・学校を中退した松太郎は怪力を見込まれ雷神部屋へ入門することに・・・。『のたり松太郎 [1]』
・トニー&さおり夫妻があっと驚く愉快な視点で「東京」を掘り下げます!『ダーリンの東京散歩』
・小三治ワールドにひたる〝読む落語〟『柳家小三治の落語 [8]』
・23人の戦争体験談に元「敵国」の詩人が耳をすませた『知らなかった、ぼくらの戦争』が売れ続けています!
関連リンク