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2018.10.17

【第1回】本日発売! 現役中学生作家・鈴木るりかの第2作『14歳、明日の時間割』〈二時間目 家庭科 空色のマフラー〉を無料公開中!!

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【第1回】本日発売! 現役中学生作家・鈴木るりかの第2作『14歳、明日の時間割』〈二時間目 家庭科 空色のマフラー〉を無料公開中!!

デビュー作『さよなら、田中さん』が10万部! 奇跡の現役中学生作家・鈴木るりかの第2作『14歳、明日の時間割』を本日発売しました。

矢部太郎さん(カラテカ)のカバーイラストは必見! 高山一実さん(乃木坂46)らが絶賛する本作から、「二時間目 家庭科」を掲載します!

人生において、一番役に立つ教科は、家庭科である。そう言い切る母の家事能力は壊滅的だった…

 

二時間目 家庭科 空色のマフラー[第1回]

 

 人生において、一番役に立つ教科は、家庭科である、と母は断言する。

 家庭科は実学だ。今ならそれがよくわかる、と。

 母は、お腹の子が女の子だとわかると、こう願ったそうだ。

 どうか家庭科の得意な子になりますように。

 綺麗な子でも、頭のいい子でもなく、家庭科が得意な子。

 それが聞き入れられたのか、果たして私はその願い通りの子になった。

 母がどうしてここまで家庭科にこだわったのかというと、自分が全くできないからだ。料理も裁縫も、家庭科の範疇全部が。苦手というよりも、悲壮なくらい、壊滅的にできない。これでどれほどまでに苦労してきたことか。

 まず料理は、どうしたらこんなにもマズくなるのかな? と聞きたくなるくらいひどい。

 いくら料理本を見てやっても、出来上がったものは、見た目も味も本とはほど遠い。やたら辛い、やたら甘い、食感が気持ち悪い、生煮えだったり、崩れすぎていたり、茹ですぎだったり、芯が残っていたり。

 料理上手になろうと努力はした、という。結婚前に料理教室にも通ったらしい。

 けれど習っているその時にはできても、帰ってきて家でやってみると不思議なくらい再現できなかった。

 「まあ、あれはグループでやっていたからね。なんとなくみんながやってくれていたんだよね、気がつけば。で、できたものを試食してただけ」

 身につかないのも道理だ。

 これではわざわざ通うことはない、と思い自分で学ぶことにした。

 料理本を買い込んで、毎月テキストと調味料と道具がセットで届く通信教育の料理講座も受講したという。

 本当に基本中の基本、料理入門というシリーズや、「超簡単」「初心者」「誰でもできる」とか、ひとり暮らしを始める男性向け、小学生向けの料理本から始めた。

 だが、しかし。

 「『超簡単』とか『五分でできる』とか、あんなの全部嘘だから。誇大広告。ジャロに訴えてやる」

 母によると、例えば『誰でも十五分でできる超簡単料理』に載っているチンジャオロースを作ろうとする。

 薄切り肉、茹で筍、ピーマンの細切り。にんにく、しょうがは、みじん切り、とさらっと書いてあるけど、まずこれをするまでに、ゆうに三十分はかかる。

 「何が『誰でも』だ。看板に偽りあり。この言葉の前に『もともと器用で、料理に手馴れていて、料理センスもある人なら誰でも』と書き加えるべきだ」

 憤慨して言う。

 母が不器用なのは確かだ。まず食材を用意するのにもたもたし、その扱いにまたもたもたする。

 食器や道具の準備も然り。つまりものすごく手際が悪い。持って生まれた手際の悪さ。加えてセンスのなさ。

 例えばちょっとしたさじ加減。調味料を加えるタイミングと量、火加減、加熱時間。これをどうすれば、どうなるか。予見する能力。そういう勘が全くない。

 結果、ベタベタ、ドロドロ、グチャグチャ、というシロモノが出来上がる。

 幼稚園の頃、親子遠足の時、ほかの子のお弁当を見て、

 「みんなすごいっ。何? このクラスのお母さんって、もとシェフとか飲食関係やっている人多いのかしら?」

 驚いていたが、ほかの子のお弁当がものすごい豪華とか手が込んでいるというわけではない。普通にからあげとか、卵焼きとかだ。つまりうちがひどすぎるのだ。

 結果、我が家の食卓は、惣菜店に頼ることがほとんどになった。

 実際こっちのほうが美味しいし、無駄も出ない。父もそのほうが喜んでいる。

 母の料理を無理して食べ、食卓の雰囲気が悪くなるくらいなら、出来合いでもプロが作った美味しいものを食べて、みんな幸せならそのほうがずっといい。美味しいと思って食べるほうが体にもいいと言うし。

 それよりもっと困るのが裁縫だった。

 今は、昔のように節約のために洋服を作る人などいない。買うほうが安い時代だ。洋服を手作りするのは趣味の領域、もしくはプロだろう。だから裁縫ができなくてもそれほど困ることもないと思うのだが、子供が小さい頃は違う。意外なところに落とし穴があったのだ。

 幼稚園に入ると、母曰く「そこは手作り至上主義・裁縫地獄だった」。

 何しろ母は、幼稚園選びのポイントが、給食があるところ一点張りで、環境や園児数、教育方針など全く考慮していなかった。給食ありの幼稚園に入れたことで、弁当作りの心配がなくなった母は、すっかり油断していた。

 入園前の説明会で配られたプリントを見て、愕然とすることになる。体操着入れ、エプロン、ランチョンマット、コップ入れ、手提げ袋、上履き入れ、これらのものは全て手作りでお願いします、とあったのだ。

 大げさでなく、紙を持つ手が震えたという。続けて「母親の愛情のこもった手作りが一番です」とあった。

 だったら愛情はあっても、不器用な母親、裁縫が救いようもなくできない母親はどうしたらいいのだ。逆に、裁縫は得意だが、子供には愛情をそそげない母親も存在するのではないか。なぜ手作りで愛情を測ろうとするのか、それがバロメーターになるのか。言いたいことはたくさんあったが現実問題として、今ここでそんなことを訴えても仕方がない。

 母が頼ったのは実家だった。自分の母親に泣きつき、丸投げしたのだった。

 もっともこれは今に始まったことではなかった。小学校高学年から高校までずっとこうしてきたのだという。家庭科の課題は全て自分の母親にやってもらっていた。幸い、母の母、つまり私の祖母は裁縫が得意で(そこは全く遺伝しなかったのだ)苦もなく、やってあげていたらしい。

 そんなことをしたら将来娘のためにならない、という考えは微塵もなく、自分が得意だったからこそ、それが仇となり「裁縫や料理なんてものは、そのうち大人になればみんな自然とできるようになるものだ」とタカをくくっていたようだ。

 しかし母にはそれは全く当てはまらなかった。そのまま何もできない人になった。それでも祖母は、

 「まあ、結婚して母親になれば、いやがおうでもやるようになって、自然とできるようになるものだ」

 そう思っていた。しかしその期待も見事に裏切られる。

 入園準備のための大量の手作り品リストを前に、

 「まさか娘が大人になっても、こんなことをやらされるとは思わなかった。中学生の頃と全く変わっていない」

 今更嘆きながらもなんとか揃えてくれた。

 入園してからも困難は続いた。

 どこの幼稚園でもバザーは恒例行事で、もちろん私の園も例外ではなかった。

 「家にある不用品を出せばいいんでしょ」

 軽く見ていた母だが、園からのお知らせに、またも目をむくことになる。そこには、「家にある不用品・一品以上、心のこもった手作りの品・一品以上」とあったのだ。

 またもや手作りを強要されるとは。しかも心のこもった、ときている。だが「誰の」とは書いていない。頼れるのは実家の母親しかいなかった。

 おばあちゃんに心をこめてやってもらおう。

 ところが祖母は、少し前に眼の手術をしており、細かい作業を医師に止められていた。ドクターストップでは仕方がない。

 次に頼ったのは、手芸の得意な友達だった。母の短大時代のその友人は、手先がとても器用で、巾着やランチョンマットをよくプレゼントしてくれたという。今はそういった手芸作品を、知り合いの店で委託販売してもらっているというから、プロといっていいだろう。彼女に事情を話すと、快く引き受けてくれたそうだ。

 コップ入れがすぐに届いた。それはまさにプロの仕事で、素晴らしい出来だった。裏と表で違う布を使い、厚みを出し、チラリとのぞく内側にもレースが施されている。オレンジ色のカーネーションの刺繍は、花びらの色が外に向かって、グラデーションになっていた。

 素晴らしい、いや、素晴らしすぎる。

 母はコップ入れを前に慄いた。もう少し手を抜いてと言っておけばよかった。いやそれはプロに失礼か。もうこれを出すより手はない。

 それを提出した数日後、園長先生から電話がかかってきた。

 「素晴らしいですねっ。感動しました。ここ数年でも出色の作品です。この細かなグラデーションの見事なことといったら。プロ級の腕前です。うちの幼稚園では、保護者向けに趣味の講座をいくつか開いているんですよ。お子さんが在園中のお母さまや、卒業生のお母さまもいますが、ピアノや絵画など、得意な分野をお持ちのお母さまが講師になり、希望者に教えてくださっています。どこの講座も好評で、すぐに定員になってしまうんですよ。もしよろしかったら、伊藤さんも刺繍の講座、お願いできないでしょうか? これだけの腕ですから、ぜひ」

 聞きながら、母は倒れそうになったという。

 「いやいや、私なんかとても」 

 「そんなご謙遜なさらず」

 「いやいや」

 不毛な押し問答の末、最後はなんとか穏便に断ることができたが、冷や汗が全身を滝のように流れたという。

 翌年、年中になったときは、前回の教訓を生かし、あそこまでではないものをと思った母がとった行動は、別の幼稚園のバザーで売っていた手作り品を買ってきて、素知らぬ顔して出すというものだった。こんなことして大丈夫なんだろうか、娘として不安を感じずにはいられない。

 もしその幼稚園の関係者、もしくは製作者本人がうちの幼稚園のバザーに来たらどうするんだろうと思うが、その点は抜かりなく、遠方の幼稚園に行って買ってきたから大丈夫だと言う。

 なんと母は、わざわざ隣の県まで遠征し、この手作りの品を手に入れてきたのだった。

 「一日がかりの仕事だった。これを手に入れるのにどんなに苦労したことか」

 いかにも大仕事をやり遂げたかのように振り返っていたが、その労力をなぜ創作に向けない。

 いや裏を返せば、それだけ裁縫が苦手、嫌だということだ。そうしてようやく手に入れた手作りの品は、上手すぎず下手すぎず、ほど良い感じで素人がいかにも一生懸命作りましたというのが滲み出ている手提げ袋だった。

 二年目はそうやって、見知らぬ誰かの力を(勝手に)借りて乗り切った。

 年長になると母も仕事を再開したこともあり、前年のように他県の幼稚園まで遠出し、手作りバザー品ハンターをしている時間がなくなった。

 他人様のものを自分の作と偽り出したことへの良心の呵責も多少あったらしい。

 「最後ぐらい自分でやってみるよ。そう、やってやれないことはない。為せば成る」

 最後は三年目にふさわしく、三年寝太郎のごとく一念発起、早速「誰にでもできる一番簡単な手芸の本」というのを(懲りずに)買ってきて格闘し始めた。幾度も針で指を突き、やり直しを繰り返し、十日もかけて、ようやくポケットティッシュケース(難易度星ひとつ)を完成させた。

 出来上がったものは、縫い目の大きさにバラつきがあり、歪な形をしていた。最初にきちんと測ったというが、出来上がってみたら奇妙に歪んでいたという。

 案の定、ポケットティッシュを入れると、そっくり返った。

 「と、取り出しやすいかも、ティッシュが」

 そう言うのが精一杯だった。これが母のベストを尽くした結果であった。

 とりあえずこれを提出する。熱意だけは入っているはずだ(というか、熱意しかない)。

 先生方は、最初の年にプロ級の手作り品を出したのに、徐々にレベルが低下、三年目には、目も当てられぬようなシロモノを提出してきたことについて、おかしいと思わなかったのだろうか、と後になって疑念が湧いた。

 母は「体の具合か精神の状態が良くないのか、とでも思ってスルーしてくれてたのかもね」と言っていたが、薄々「ありゃ? こりゃおかしいぞ。もしかして」と悪事が露呈していた確率のほうが高いような気がする。

 そういうこともあり、その年のバザー会場には、母は禁忌のように足を踏み入れなかった。

 幼稚園を卒園し、小学校に入学すると、働く母親も多くなってきたためか、手作り品を強要されるようなことはなくなった。

 手提げも上履き入れも市販のものでOKになったので、母も随分とラクになったようだ。

 小学四年の時、土曜日の午後だった。

 書道教室の帰り、迎えに来てくれた母と、卒園した幼稚園の前を通りかかると、お祭りをやっていたので、立ち寄ってみた。

 久しぶりに見る園庭や教室を小さく感じる。チューリップが描かれたトイレのスリッパに見覚えがあり、ところどころ記憶が蘇る。

 バザーをやっている教室があった。

 「葵ちゃん? 葵ちゃんママ?」

 声に振り返ると、幼稚園時代、同じクラスだったスミレちゃんのママだった。

 スミレちゃんは、私とは学区が違うので別の小学校に行っていた。

 「やっぱりー。久しぶりー。来てくれたんだー。葵ちゃんも大きくなったね」

 見ると、スミレちゃんママは、園の名前が入った赤いエプロンをつけている。

 「ホント、久しぶりねー。スミレちゃんママ、係やってるの?」

 「そーなの。下の子が年中でさ。今日はここのバザーの係。スミレはサッカーの試合があって来られないんだけど」

 「スミレちゃん、サッカーやってるんだ」

 「小学校に入ってから始めたんだけどね」

 母とスミレちゃんママがそんなやり取りをしていると、母の視線が、足元にあるダンボール箱で止まった。

 マジックでオール十円と書かれたその箱の中には、ファーストフード店のおまけや、すぐにボロボロほつれてくる信用金庫の名入りタオルとか、二年前の干支の置物、カチカチに固まっているチューブ絵の具のばら、服に付いている予備のボタン、VHSのビデオテープクリーナーだとか、どう見ても「タダでもいらねーな」というものが乱雑に入っており、その中に見覚えのある模様が見えた。

 私がつまみ上げるとそれは、四年前、母が悪戦苦闘して作ったあのティッシュケースだった。

 「こ、これ」

 私が言うと、

 「ああ、それねー、毎年売れ残ってんだって。去年もその前も、もうずーっと。でも手作り品だから、処分もできなくって困ってんの。良かったら持ってってー。タダでいいから」

 明るく言うスミレちゃんママ。

 母の顔を見られない。目が合ったらスミレちゃんママに動揺を気づかれるかもしれない。

 「い、いや、買うわ。買う。じゅ、十円ね」

 母が財布から十円玉を取り出す。

 「えー、そんな、こんなのでお金とっちゃ悪いわよ。じゃあこれも持ってって、これも」

 スミレちゃんママは箱の中から、酒屋でもらったらしい栓抜きと卓上カレンダー(この時点で、すでに七月だった)、京都という文字をかたどったキーホルダー、じいさんが使いそうな黒い小銭入れ(かび臭い)をくれた。

 「わ、悪いわね。なんか、こんなもらっちゃって」

 「いいよぉ。こっちこそこのガラクタ、少しでも減らしたかったし」

 ガラクタ。この言葉を耳にしても、私たちは上手く笑えていたと思う。

 でも誰も悪くない。そう、母も、スミレちゃんママも、ティッシュケースを買ってくれなかった人も、それをこの箱に放った人も、誰も悪くない。

 こうして母の渾身の力作(出来はともかく)は、四年の時を経て、我が家に帰ってきた。

 確かアンデルセンだったか、そんな童話があった。主人公の女性が海に投げ捨てた指輪が、数奇な運命を経て手元に戻ってくるという話だった。それほどのスケールもロマンもないが、そのティッシュケースも確かに帰還した。

 ティッシュケースをその後、二度と目にすることはなかった。処分したのか、あるいはどこかに隠してあるのか。

 「あれ、私が使おうか?」

 などと言うのも、母を傷つける気がして、そのままにしてある。

(つづく)

 

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