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2017.5.23
23人の戦争体験談に元「敵国」の詩人が耳をすませた『知らなかった、ぼくらの戦争』が売れ続けています!
この記事は掲載から10か月が経過しています。記事中の発売日、イベント日程等には十分ご注意ください。
キーワード: 戦争 平和 戦後
いつまで知らないでいるつもり!?
アメリカ出身の詩人アーサー・ビナード氏(1967年生まれ)が、
日本人の太平洋戦争体験者たちを訪ね歩き、
戦争の実態と、個人が争いから"生き延びる知恵"を探る。
‹‹「戦後70年」のとき、ぼくは先人たちの「戦争体験」を
聴こうと決め込んで、マイクを片手に出発した。
が、実際に向き合って耳をすまし、
歴史の中へ分け入ってみたら、
一人もそんな「戦争体験」の枠に収まらず、
みんなそれぞれの「戦後づくり」の知恵を教えてくれた。
後のことを放置せず、大事な仕事として引き継ぎたい気持ちで、ぼくは胸がいっぱいだ。
「戦後づくり」以外に、たぶん生き延びる道はないと思う。››
日本人以上に日本社会をよく知っているビナード氏が、
今、聞いておかなければ永遠に失われてしまう、という思いから、
インタビューした23人の戦争証言集。
登場する語り手は、真珠湾攻撃に参加したゼロ戦の元パイロット、
学徒として「毒ガス島」で働いた女性、戦後GHQで働いた元事務員など、じつにさまざま。
その体験談は、どれもつらいものばかりだが、不思議と重苦しい気持ちにならない。
それは、登場する方たちが悲惨な体験を乗り越え、
二度と戦争を起こさないために、アクションを起こし続けているからだ。
‹‹アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレーは、1940年に「平和」をこう定義づけた。
「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」――
ミレーは1950年にこの世を去ってしまったが、もし彼女が日本の「戦後」に触れていたなら、
定義の時間軸をもっと長くして「つかの間」をやめて、ただ「優雅な無知」と表現したのかもしれない。
いや、単なる「優雅な無知」だったら、70年はつづかないだろう。
たとえ人口的に「優雅な無知」ですごしている者が多くても、
中にはあの戦争を背負って後始末しながら日々、「平和」を生み出している人がいる。
その営みがあって「戦後」という日本語は、現在も意味をなしているのじゃないか。››
証言者たちの、さまざまな言葉が印象に残る。
「戦争の時代、多くの日本国民が流されて、積極的に戦争に賛成する側に立ったんです。 "のっていった"んです」
「わたしが心に刻んだ最大の教訓は"軍隊は民間人を守らない"ということです。軍隊は、非戦闘員の命を守りません」
戦争に対する「理解」は「知る」ことからはじまる。
ビナード氏とともに、「戦争」「平和」「戦後」について考えてみませんか?
日本民間放送連盟賞・2016年番組部門[ラジオ報道番組]最優秀賞を受賞した、
文化放送「アーサー・ビナード『探しています』」を採録して再構成!
近現代史を充分に学ばないまま大人になってしまった人や、
日本の戦争のことをきちんと知りたい学生のみなさんに、ぜひ読んでほしい一冊。
『知らなかった、ぼくらの戦争』 編著/アーサー・ビナード
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・アメリカ出身の日本語詩人によるユーモアたっぷりのエッセイ集!『日本語ぽこりぽこり』
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