「事件が娯楽として
消費される時
降り注ぐ赤い炎」
梯 久美子
これだけの長編を一気読みしたのは、桐野夏生『OUT』以来のことだ。書かれた時代を鏡のように映し出しながら、どの時代、どの国にも通じる普遍性を有するという点でも、かの名作を思い起こさせるものがあった。
端正かつ繊細な筆致で、凄みのある物語が紡がれていく。読みはじめたときから最後まで続くのは、ハラハラドキドキとは種類の違う、胸がうずくような独特の緊迫感だ。
読みはじめて数分、わずか5ページ目で最初の事件は起こる。北陸地方のある都市で百貨店の受付嬢をしている若い女性が誘拐されて殺されるのだ。
事件の背後に何があったのか。彼女は誰に連れ去られ、どこでどのように殺されたのか。一切が明かされないまま、物語は25年後の同じ町に飛ぶ。
小学校4年生の男の子が放課後に行方不明になる。彼と最後に会ったのは、担任教師の若い女性だった。
日暮れ前に家とは反対の方角にいた児童をなぜそのままにしたのか。家まで送るべきだったのではないか。彼女はそんな非難にさらされる。
忽然と消えた男の子は、25年前に誘拐されて殺された女性の妹の子、つまり甥だった。この不可思議なつながりに、憶測まじりの噂が広まりはじめる。
物語が進むにつれて、読者はかつての事件がどのようなものだったのかを知ることになる。そのとき地元で広がった異様な噂や、いまも解かれていない謎についても。
男の子の失踪の責任を問われた教師も、悪意ある噂を流され、地元紙の記者をしている恋人とともに事件に巻き込まれていく。
大規模な人員を投入しての捜索の様子が連日報道され、地方の小さな都市が全国的に注目を浴びると、かつての誘拐殺人と今回の失踪には、被害者の身内がかかわっているという話がまことしやかに囁かれる。
読みながら胸がざわつく。
自分たちは正義の側に立っている。子供の無事を心から願う善良な人間だ。だからこそ犯人を許せないのだ。─そう思い込んで、あやしいと信じた人物を攻撃する。淡々と描かれるそうした人々の姿にはぞっとさせられるが、他人事では決してない。そこに高揚を覚える心理は多くの人の中に眠っている。
平穏な共同体の中にあって、普段は目に見えない悪意や嫉妬は、何かのきっかけで、匿名のまま他人を傷つけることのできる愉楽となって、あっという間に広がっていく。
身近な事件から国際的な紛争まで、正義の側に立って悪を糾弾することはひとつの快楽だ。普通の人々が、その自覚のないままに事件を娯楽として消費するのは、いまこのときも、世界中で起きていることなのだ。
誘拐されて殺された女性の部屋は、25年後もそのままになっている。そこには、小学生のころ両親からクリスマスプレゼントにもらったスノードームが置かれている。
ガラスのドームの中にミニチュアの町があり、海外の童話に出てくるようなレンガ造りの家々の上に、ドームを振り動かすと、たくさんの雪が舞う。
彼女の父であり、失踪した男の子の祖父でもある男性は、生前の娘がそれを見て笑いながら言った言葉を覚えていた。
「これ、もし、赤い粒で作ったら、火事が起きてるように見えるかも。だったらファイアードームだ」
渦を巻くように増殖する悪意の中で彼は思う。娘を失った夏、この町に炎が降り注いだのだと。
平穏だったはずの静かな町が、ひとたびつつかれると揺り動かされて、そこに大量の炎が降り注ぎ、燃え盛った。落ち着いたように見えても、ドームの底に火の粉は残っている。誰かが揺らせば、たやすくまた、町は炎に包まれる。
なんと的確で、なんとおそろしい比喩だろう。私たちは、共同体というガラスのドームの中で暮らしている。だがその地面には、いつ降り注いでくるかもしれない炎のかけらが大量に眠っているのだ。
ドームが揺すぶられたとき、舞い上がり、降り注ぐ火の粉。誰かの髪を燃やし、肌を焼き、人生を灰にする炎は、しかし人を魅了する力を持っている。それを可視化し、重層的な人間のドラマとして描いてみせた作家の力量には敬服するしかない。
だが、この作品で描かれているのは人間の愚かさや悪意ばかりではない。安易な救いや解決はなく、取り返しのつかない悲しみや苦さも残るが、同時にひとすじの光がある。
人間らしい人間でありたいという思いが人を動かし、後悔にみちた昨日を希望のある明日につなげていく過程が、リアリティをもって描かれるのだ。
ノンフィクション作家として、戦争と文学をテーマに取材・執筆してきた私は、人間のもっとも醜い部分ともっとも崇高な部分が露わになるのが戦争だと思ってきた。醜い人と崇高な人がいるのではなく、ひとりの人間の中に、醜さと崇高さが存在し、極限の場面で、どちらかが表に出てくるのだ。
それは戦争だけではなく、日常においても同じかもしれないと、この作品を読みながら思った。縄を綯うように、あるいはタペストリーを織るように、人間の中に存在する光と闇を描く作者の筆は、非情さの底に、深い優しさをたたえている。夜を徹して読み終えた明け方に流れたのは、あたたかな涙だった。
かけはし・くみこ
1961年生まれ。ノンフィクション作家。2006年『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』『やなせたかしの生涯
アンパンマンとぼく』など。