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2021.1.14

「生きていれば、きっといつかいいことがあるはずだ」ヤマザキマリ著『多様性を楽しむ生き方』

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キーワード: ヤマザキマリ 昭和 生き方

「生きていれば、きっといつかいいことがあるはずだ」ヤマザキマリ著『多様性を楽しむ生き方』

不安な時代を生き抜くヒントは「昭和」にあった!?

14歳で1か月間、欧州を一人旅、17歳でイタリアに留学してからは、各国を転々。

どん底の生活を経験しながらも、めげることなく、たくましく生き抜いてきた著者の原点は「昭和」だった。

ヤマザキマリは、昭和という時代は、人々が楽観的かつ貪欲で、明日へのエネルギーと意欲に溢れていたと語る。

 

«「どうしてヤマザキさん、そんなに昭和に固執しているんですか、昭和ってそんなにいい時代でしたっけ」などと言われることもあるが、なにせ昭和が私の一番知っている日本だから仕方がない。昭和は昭和でいろいろあったし、今思えばまだまだ人間が自分の生き方について、激しく模索を繰り返している時代でもあった。故に過酷で不条理な事象もたくさんあった。私は決して昭和に固執しているわけでもなければ、礼賛しているわけでもない。ただ、日本という国における歴史上のひとつの現象として、興味深い時代ではあったと思っている。»

(本書「はじめに」より)

 

ヤマザキマリにとって昭和とは・・・

■ ジャンクな駄菓子に胸が躍った時代

■ 下町商店街は人情味にあふれていた

■ 道端にエロ本が落ちていた

■ 家に気兼ねなく人が集まった

■ オカルトブームを牽引した童心大人がいた

■ CMに遊びや知的教養があった

■ いじめっこのバックグラウンドが見えた

■ 孤独を見方にした孤高のヒーローがいた。

 

先を見通せない不安と戦う今、明るく前向きに生きるヒントが詰まった「昭和」の光景を、様々な角度から思い出しながら丁寧に綴った考察記録。

 

«私にとっての昭和がサバンナだったとすると、そこで培ったエネルギッシュな精神はその後イタリア、シリア、アメリカといったそれぞれまったく要素の違う国々に移り住んできた私の、世の中なんでもあり、という適応力につながったと言っていい。様々な不条理と向き合わされ、孤独に打ちひしがれてもなんとか頑張ってこられたのは、あの時代の人々の暮らしや漫画やテレビなどからタフに生きることの重要性を学習できていたからだろう。

 移り変わる時代の中で、ときどき、過去の人々の思想や社会のあり方が現状の問題解決に対しての良いヒントとして活かされるように、昭和にもそういう要素はいくつもあるはずだ。»

(本書「昭和というサバンナ -あとがきにかえて-」より)

 

ヤマザキマリ流・生き方指南書!!

巻末に「ヤマザキマリ年表」付き。

 

小学館新書

『多様性を楽しむ生き方

「昭和」に学ぶ明日を生きるヒント』

著/ヤマザキマリ

 

【著者プロフィール】

ヤマザキマリ

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。

 

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