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2019.1.2
箱根駅伝創設に力を尽くした男は日本人初のオリンピアンだった!『小学館版 学習まんが人物館 金栗四三』
この記事は掲載から10か月が経過しています。記事中の発売日、イベント日程等には十分ご注意ください。
3度のオリンピックに出場し、92歳まで激走! 生涯で走った距離は25万キロ!!
お正月の風物詩である東京箱根間往復大学駅伝競走。
毎年、さまざまなドラマが繰り広げられ、お茶の間をにぎわしてくれます。
この箱根駅伝、誰がつくろうと言いだしたかご存じですか?
その男の名は、金栗四三(かなくり・しそう)。
2019年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公のひとりです(演じるのは中村勘九郎)。
彼にはさまざまな伝説が残っています!
・初めてのマラソンで、当時の世界記録を塗りかえて優勝!
・日本人として初めてオリンピック(ストックホルム)に出場したマラソン選手!
・ ランニングシューズがなかった時代、「金栗足袋」を開発しブームに!
・日本初の駅伝「奠都記念東海道五十三次駅伝徒歩競走(京都~東京)」や「東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)」の開催に尽力!
・マラソンの世界最長時間記録「54年8か月6日5時間32分20秒3」の保持者!!
・マラソンにとどまらず、日本陸上界、日本の女子スポーツ界発展の仕掛け人だった!!
熊本県に生まれ、往復12㎞キロの道を走って、通学した少年時代に脚力がきたえられます。
その才能を見出したのは、進学した東京高等師範学校(現在の筑波大学)で校長を務めていた嘉納治五郎!
オリンピックの国内予選会に出場し、当時の世界記録を塗りかえて優勝、1912年のストックホルムオリンピックに出場することになります。
しかし完走することはできず、記録は「行方不明」、現地では「消えたマラソン走者」と話題になりました。
その後、アントワープ、パリと、合計三度のオリンピック出場を果たすとともに、日本人の長距離ランナー育成のために、箱根駅伝や福岡国際マラソンなどを企画。
まさに、日本スポーツ界のパイオニア的存在です。
92歳で亡くなるまで不屈の精神で走り続け、生涯で走った距離は25万キロといわれています。
〝日本マラソンの父〟と呼ばれる金栗四三の激走人生が、学習まんがになりました。
どんなときもくじけない〝いだてん〟の姿に、心が奮い立ち、闘志が湧いてくる一冊。
子どもたちのハートに、きっと火がつくことでしょう。
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