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2018.9.22

【第3回】ドラマ放送直前! 池井戸潤の大人気シリーズ、待望の最新刊『下町ロケット ヤタガラス』第1章[3]を無料公開中!

【第3回】ドラマ放送直前! 池井戸潤の大人気シリーズ、待望の最新刊『下町ロケット ヤタガラス』第1章[3]を無料公開中!

この秋、最注目のドラマといえば、何といっても「下町ロケット」(TBS日曜劇場)だ。原作は池井戸潤原作の国民的人気シリーズで、累計部数は300万部を突破している。7月に刊行したドラマ原作でもある『下町ロケット ゴースト』に続き、早くもそれに連なる最新刊『下町ロケット ヤタガラス』の刊行が決定。9月28日の発売を前にひと足早く、第1章を特別連載!「宇宙から大地」編のクライマックスや如何に!?

 

第1章 新たな提案と検討[第3回]

 

 重苦しい沈黙が、会議室を支配している。

 そこにいるのは佃と山崎の他、軽部らトランスミッション開発チーム、そして営業部の関係者たちだ。

 「さっき、ギアゴーストの柏田さんに連絡してみたんですが、ヤマタニの話が立ち消えになった件、とっくにウチも知っているものと思っていたそうです」

 営業部の江原の報告に、

 「そんなバカな話があるかよ」

 営業第一部長の津野薫が吐き捨てた。「仮にヤマタニと付き合いのあるウチが小耳に挟んでいたとしても、こんな重要なことはギアゴーストからきっちり話を通してくるのがスジじゃないか」

 「結局、あんなコンペ、なんの意味も無かったってことかよ。けったくそ悪い話だぜ、まったく」

 バルブ開発のリーダーを務めた軽部は頭の後ろで両手を組み、暗澹たる様で天井を仰いだ。

 「あの、ひとつ聞いていいですか」

 立花が、小さく挙手していた。「なにが伊丹社長をそんなふうに変えてしまったんでしょう。そんな人じゃなかったと思うんですが」

 「過去へのこだわり、ということらしい」

 自分でも吞み込めないまま、佃は島津から聞いた話をしてみせた。伊丹がダイダロスと意気投合したのは、かつて煮え湯を飲まされた的場俊一に復讐するためだという。的場は、帝国重工の次期社長候補と目されているやり手の取締役だ。

 「前職の恨みですか」こちらも釈然としない口調で、営業第二部長の唐木田篤が吐き捨てる。「いつまでこだわってんだよ」

 「理由はどうあれ、もうウチは要らないと、そういうことですよね」

 津野はいい、「上等じゃないですか」と目を怒らせた。

 「しかし社長、気になりませんか」

 黙って話を聞いていた山崎がそのとき口を挟んだ。「伊丹さんがいってたヤマタニでの別の話ってなんなんですかね。ツンさん、聞いてない?」

 問われた津野も首を傾げた。津野が部長を務める営業第一部は佃製作所の主業であるエンジン担当だ。小型エンジンの納入先であるヤマタニには、頻繁に出入りしている。何らかの動きがあれば、津野の耳に入らないはずはなかった。

 「いや、変わった動きはなかったように思うんだが。どうだ」

 話を振られた同社担当の埜村耕助も、

 「とくには何も聞いてません」

 そういって首を横に振った。

 「またダイダロスに出し抜かれてるんじゃないか。蚊帳の外に置かれてるとかさ。最近のヤマタニを見てると有り得ない話じゃない」

 唐木田の痛烈な指摘に、

 「そんなことないよ」

 津野が言い返したところで、「まあとにかく」、と佃が割って入る。

 「ツンさんは引き続きヤマタニでの情報収集に努めてくれ。万一新しいプロジェクトが動いていれば、ウチが入り込む余地があるか探ってもらいたい。いずれにしても、ギアゴーストとの取引は一旦、白紙だ。トランスミッションのバルブについては、他に引き合いがないか、唐木田さん、引き続き頼む」

 唐木田の率いる第二営業部は、エンジンを除く機械製品の販売が主担当だ。当然、トランスミッション関係もそれに含まれる。外資系企業で敏腕の営業部長として鳴らしていた唐木田は、社内きっての論客であると同時に、戦略家でもあった。

 「ウチと組んでいては生き残れないっていったんですよね、伊丹社長は」

 内なる闘志を燃やして唐木田はいった。「だったら、そうじゃないってことを証明してやりますよ。ハシゴ外されて黙って引き下がるほど佃製作所は甘くないですから」

 ギアゴーストの危機に、佃製作所は全員で力を貸したのに、その結果がこれか─。

 やり切れなさの一方、出口もなく渦巻く怒りのマグマが会議室に内在している。

 打ち合わせを終え、自室に戻った佃は、椅子に体を投げ出してため息とともに天井を仰いだ。

 取引先と訣別するのは簡単だ。だが、目論見の狂ったビジネスの穴を埋めるのは、そう容易なことではない。

 中小企業の経営は、快適に続く一本道とは違う。曲がりくねり、無数の路地が口を開ける難路だ。しかもそこには、頼りになるナビもなければ、先導してくれる道案内もいない。

 「わかってるんだよ、そんなことは」

 ひとり呟いた佃だが、ではどうすればいい、という答えはすぐに見つかりそうになかった。

 帝国重工の財前から電話があったのは、そんな鬱々とした日を送っていた最中のことである。

 

 財前道生の新しい名刺の肩書きは、「宇宙航空企画推進グループ部長」となっていた。

 財前と最後に会ったのは先月、準天頂衛星ヤタガラス最終機の打ち上げ現場でのことだ。それを花道として現場を去った財前のスピーチは、いまも佃の脳裏にはっきりと残っている。

 「私が第一弾としてぶち上げるのは農業です。私は─危機にあるこの国の農業を救いたい」

 財前はそう明言したのであった。とはいえ─。

 あれからまだひと月も経っていない。

 新たな部署を立ち上げたばかりで、この日はその挨拶程度だろうと思って会った佃に、

 「ひとつ折り入って相談があるんですが」

 財前はそう切り出して佃を驚かせた。

 「相談、というのは……?」

 忙しいだろうからこちらから出向くといったのに、財前はこの日、わざわざ、佃製作所を訪ねてきた。そこには明確な目論見があったのだ。

 「いままでは大型ロケット打ち上げを推進してきましたが、これから私が担当することになったのは、いわばその周辺ビジネスです」

 「あのとき農業とおっしゃいましたね、財前さん」

 佃が指摘するや、財前の目が底光りしたような気がした。「実はあのスピーチのときにお伺いしたかったんですが、農業をどう周辺ビジネスに仕立てるおつもりです」

 「ヤタガラスと関係があると申し上げたはずです。相談というのはそれに関係することです」

 ヤタガラスとは、政府が打ち上げた準天頂衛星の名前だ。全部で七機のヤタガラスが打ち上げられたことによって、GPSなどでは従来十メートルほどあった誤差が、わずか数センチにまで改善された。

 主にIT関係などでの応用が期待されるといわれているのだが、

 「私が考えているのは、無人農業ロボットです」

 意外なひと言を、財前は告げた。「田植機、トラクター、コンバイン。いままで人が操縦してきた農機具を無人の自動運転で操作できるようにする。誤差数センチの測位システムを使えば、人と同様、むしろそれ以上に正確な農作業が実現できます」

 財前は続ける。「いま日本の農業は、かつてない勢いで高齢化が進み、深刻な労働力不足に喘いでいます。就農人口の実に七割近くが六十五歳以上の高齢者なんです。このまま十年も経てば、おそらくこの年齢層の人たちは体力的に離農せざるを得なくなるでしょう。新たな農業の担い手がいなければ日本の農業は廃れ、そればかりかノウハウまで失われることになってしまう。私はその危機的な状況をなんとか救いたい」

 口調に熱を帯びた財前は、カバンから出した資料を佃の前に広げた。「私が企画しているこの無人農業ロボットは、ヤタガラスからの測位情報を頼りに誤差数センチでの自動運転を可能とするものです。作業は昼夜問わず可能で、パソコンからの指示で納屋を出、田んぼに行き、農作業をして自動で帰ってくる。これにより、農作業は格段に楽になり、しかも作業効率が向上して経営面積を増やせることによって、世帯収入は飛躍的に向上します。就農者三人の家族であれば、都会で齷齪働くサラリーマンよりも豊かな生活を送ることが可能になる。都会から農村へ。若手の就農者を増やし、〝きつい、つらい、儲からない〟農家のイメージを、〝楽しく、豊かで、成長する〟前向きなイメージへ転換することができるんです。そうすることで、日本の農業を復活させたい。農業が若者の職業選択肢のひとつとして定着すれば、いま直面している農業の危機を回避する有効な手段になるでしょう。そのために私は、この無人農業ロボットをなんとか実現したい。手を貸していただけませんか、佃さん」

 直截に問われ、佃は思わず返答に窮した。

 一気に大量の情報が押し寄せ、それが整理できないうちに、判断を求められたようなものだ。

 「ちょっと待ってください」

 右手を前に差し出した佃は、そのままの格好で静止し、いま財前が語ったことを頭の中で反芻してみる。

 たしかに、日本の農業救済というテーマが壮大であるだけに、それを帝国重工が志すことについては何の違和感もない。準天頂衛星ヤタガラスの打ち上げに携わった財前の着眼点も納得がいくし、素晴らしいと思う。

 だが、事業主旨はそれとして、手を貸せといわれても何をどう貸せばいいのか。そこがピンとこないのであった。

 それを問うた佃に、

 「ウチには─帝国重工のラインナップには、農機具がありません。佃さんには、エンジンとトランスミッションを供給していただきたい」

 財前の要求は明確であった。

 「トランスミッションも、ですか?」

 佃は驚いてきいた。

 「以前、お会いしたとき試作もそろそろ完成に近づいているとおっしゃってました。農機具のトランスミッションだとたしかお伺いしたはずです」

 ロケット打ち上げ作業の合間の立ち話を、財前は覚えていたらしい。おそらく、その段階で財前の頭の中では、この構想ができあがっていたのだろう。

 「いかがでしょう。佃さんにとっても、悪い話ではないと思いますが」

 「それはもちろん」

 答えたものの、事はそう単純ではない。「しかし、エンジンとトランスミッションだけでは農機具はできません。それ以外のところはどうするんです」

 「農機具こそないものの、ご存じの通り帝国重工には様々な製造ラインナップが存在します。大型重機もあれば戦車もある。どれも重厚長大なものばかりと笑われそうですが、その技術を応用すればトラクターの大部分を設計製造することができる。すでに、その辺りのリサーチは済ませてあります。ただし、エンジンとトランスミッションだけは、社内で新しく開発したのでは時間とコストがかかりすぎる」

 「だからウチというわけですか」

 佃はこたえたものの、ふと胸に浮かんだ疑問を口にしないではいられなかった。「ですが、それなら既存の農機具メーカーと業務提携されたほうが簡単なんじゃないんですか」

 「いえ」

 財前は首を横に振った。

 「我々としては帝国重工の将来を担うビジネスを構築することを目的としております。既存の農機具メーカーは、いわば競合です。まる投げしたのでは意味がありません」

 「なるほど」

 頷いた佃だが、まだひとつ大きな疑問があった。それは、このビジネスプランの根幹に関わることである。「しかし、無人農業ロボットとおっしゃいました。いままでの道具立てが揃えばおそらくそれなりのものはできるでしょう。ですが、無人にする技術、つまり自動走行のところはどうされるおつもりですか」

 佃は問うた。「パソコンのプログラムで農機具を動かすのには、相当の技術力が必要になります。それは新たなトラクターを設計製造するのとは次元の違う話だと思いますが。その技術が帝国重工にはあるということですか」

 多くの研究開発部門を抱えている帝国重工のことだ、新たに開発されたコア技術を根拠とした話かも知れない。そう考えた佃であるが、財前は小さく首を横に振った。

 「残念ながら、その技術はウチにはありません」

 「ない」

 拍子抜けするこたえに、佃は思わずそう問い返していた。根拠となる技術がないのなら、この話は単なる夢物語ではないか。

 「佃さん、野木博文さんという方をご存じですよね」

 財前から思いがけない名が飛び出したのは、そのときである。

 「野木?」

 どこかで聞いたことがある。そう思った瞬間、佃の記憶が急速な勢いで巻き戻された。

 「野木って、あの野木ですか。私の大学時代の友人で─」

 佃と一緒に大学院に進み、その後佃が宇宙科学開発機構に転出してからも大学の研究室に残っていたはずだ。

 大学時代には親しくしていた男だが、ふと思い返してみるとかれこれ十年以上、少なくとも佃が家業の佃製作所の社長に就任してからは連絡を取っていない。佃のほうも研究室に残った野木がその後どうなったか知らないままだ。

 「野木さん─いや、野木博文教授はいま、北海道農業大学で、ビークル・ロボティクス研究の第一人者です」

 「ビークル・ロボティクス……」

 「農業用車両のロボット化研究、つまりいまお話ししたような無人農業ロボットのまさにベースとなる技術です」

 「それをあの野木がやっているんですか」

 大学時代の、ひょろりとした友人の姿を思い出し、佃は無性に懐かしくなった。ひょんなところで昔の仲間の消息を知る。それがいい報せであればなおのこと感慨深い。「で、野木もこれに加わってくれると?」

 肯定の返事を期待してきいた佃だが、「それが……」、財前は表情を曇らせた。

 「実は先日お会いして話をさせていただいたんですが、まだ返事をいただいていません」

 「何か問題でもあるんですか」

 意外に思って、佃はきいた。

 大学の研究室はタイトな予算を強いられていることが多い。天下の帝国重工と提携できれば潤沢な研究開発費を得ることができるはずだ。ふたつ返事で承諾しても不思議ではないくらいだ。

 「詳しいことはおっしゃらなかったんですが、どうも我々のような一般企業と組むことに抵抗感がお有りのようで」

 「抵抗感、ですか」腑に落ちない話である。

 「いや、そうおっしゃったわけではないので本当のところはわかりません。ただ、このビジネスプランにあまりいい顔をされなかったのは事実です」

 「なにか理由をいってませんでしたか」

 「具体的には何も。考えておきますが期待はしないでください、と。私の話し方が悪かったのかも知れませんが」

 「そんなことがあるかな」

 佃は首を傾げた。少なくとも佃の知る野木は、さっぱりとして実直な人柄である。決して気難しい男ではない。あるいは何か、学者ならではの事情でもあるのだろうか。

 「野木の協力を得られないことには、このビジネスも成立しない。そういうことですか」

 問うた佃に、財前はあらたまった調子になり、

 「佃さん、私に力を貸していただけるのであれば、ぜひ一緒に、野木教授の説得に行ってくださいませんか」

 そう頼み込んだ。「佃さんから説得していただけば教授も腰を上げてくださるのではないかと思うんです」

 「野木に、この話に私も加わることは─」

 「まだ話していません」

 佃は椅子の背にもたれて考え込んだ。

 どうやらそう簡単な話ではなさそうだが、佃製作所にすれば、財前の申し出はまたとないビジネスチャンスに他ならない。

 「わかりました」

 佃は、意を決した。「行きましょう。野木には私が同道するとお伝えください。そうすれば少なくとも、うまいものを食わせる店ぐらいは教えてくれるはずですから」

 「ならばこの話、佃さんは─」

 「一応、社内には諮りますが、反対する者などいるはずがありません。全力で受けさせていただきます」

 財前が差し出した右手を握り返した佃は、すぐにスケジュールを確認すると、北海道行きのための日程をいくつか告げた。

(つづく)

 

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