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2019.1.20

地球180周分の稀有な体験をエッセイに!兼高かおる著『わたくしが旅から学んだこと』

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地球180周分の稀有な体験をエッセイに!兼高かおる著『わたくしが旅から学んだこと』

「お知らせしたい、読んでいただきたい材料がいくらでもある」

旅を通じて見えてきた世界、日本、そして人生というもの――

 

‹‹わたくしには今も幸福な時間があります。

母と兄と、仕事などでわたくしを育ててくれた人たちに毎朝おいしくお茶を入れ、ちょうど飲みごろの温度にしてお供えをして、いろいろな報告や相談をして、「わたくしは幸せでございます。ありがとうございます」とお礼を言うと心が温かくなり、そして一日が始まります。

わたくしがひとりでも寂しくないのは、自分を愛してくれたと信じる人たちとのこんな時間のおかげのような気がします。››

 

これは今月5日、心不全のため亡くなった旅行ジャーナリストの兼高(かねたか)かおるさんが、生前に自著『わたくしが旅から学んだこと』の中で語った言葉です。

 

兼高さんは、海外紀行番組の草分け「兼高かおる 世界の旅」(TBS系)の案内役を30年間にわたり担当。

持ち前のフットワークの軽さで、南極から北極まで世界150か国を訪れ、日本にはない海外の風景や風習、各国の著名人なども取材し、気品あふれる語り口でその魅力を届けました。

 

‹‹1928年(昭和3年)、わたくしは神戸で生まれました。

戦争があり、敗戦があり、世の中の価値観がガラッと変わる経験もしました。そして、アメリカ留学、病気による帰国、ジャーナリストとしての仕事の開始・・・・・・。

80余年の人生は変化に富み、さまざまな出来事がありましたが、振り返ってみると、やはり「兼高かおる 世界の旅」(以下、「世界の旅」)の存在の大きさを感じます。このテレビ番組は1959年(昭和34年)から1990年(平成2年)まで、実に31年間続きました。

現地での取材、コーディネート、プロデューサー兼ディレクター、ナレーターと、ひとり何役も務めていたわたくしは、1年の半分を海外で過ごし、生活の99パーセントの時間をこの番組に費やしていました。「世界の旅」で生き方や仕事について学び、取材をする目や世界を視る目を養いました。まさに人生の学校でした。

番組が始まったのは31歳のとき。終わったのは62歳のときです。››

 

「世界の旅」が始まった当初は、1ドル360円の固定相場で航空運賃が高く、海外渡航者が年間1万人の時代。

庶民にとってスマートに海外を飛びまわる兼高さんは憧れの的でした。

 

本書は、「お知らせしたい、読んでいただきたい材料がいくらでもある」という著者のオリジナリティあふれる人生観、価値観、世界観をつづったエッセイです。

84歳だった2012年にも、クルージングで南太平洋の島々を訪ねるなど生涯旅人だった著者。

数々の稀有な体験から得た『わたくしが旅から学んだこと』は、どれも示唆に富んでいて興味深い。

現代の若者に向けた金言も数多くあり、彼女のことを知る人も、知らない人も、必読の内容です。

 

巻末解説は漫画家のヤマザキマリさん。

 

「私は未だに機会があると〝自分は子供の頃から兼高かおるさんになりたかった〟と口にしたりエッセイに書いたり漫画にしたりしていますが、これには一切の誇張や偽りはありません。40年もなかなか一途にひとりの人を憧れ続けるというのは難しいと思うのですが、兼高さんに関しては自分の今までの人生におけるどんなシーンにおいてもそのバックグラウンドに必ず君臨していて、私の中での大きな心の支えであり続けた存在です」

 

ヤマザキマリさんからは、兼高さんへの追悼メッセージもいただきました。

 

「私達が生きている地球がどれだけ広く、素晴らしいのか、それを教えてくれたのは兼高かおるさんでした」

 

小学館文庫

『わたくしが旅から学んだこと』

著/兼高かおる

 

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