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2019.10.8
【第5回】世界中で読み継がれる名作『風と共に去りぬ』を林真理子が鮮やかにポップに、現代甦らせた!『私はスカーレットⅠ』第1章~第3章を無料公開中!
この記事は掲載から10か月が経過しています。記事中の発売日、イベント日程等には十分ご注意ください。
【第5回】
私は自分の腕をお父さまの腕にからめる。こんな風に恋人のようなしぐさをすると、お父さまがヘナヘナになるのを知っているからだ。
「ディルシーのことはどうなったの?」
彼女はお父さまの大切な従僕、ポークと結婚をして娘を一人産んでいる。
「ああ、買った。とんだ散財だった。ディルシーと娘のプリシーとで三千ドルもしたよ」
「まあ、三千ドルですって」
「ジョン・ウィルクスはタダ同然でいいと言ったのだが、そんなことをしたら、わしがジョンの友情につけ込んだようだからな」
ジョン・ウィルクスは、アシュレの父親だ。まるで性格が違っているのに、お父さまと仲がいい。ああ、奴隷の売買じゃなくて、私の結婚のための話し合いだったら、どんなによかっただろう。
「プリシーまで買う必要はなかったのよ」
プリシーならよく知っている。頭の悪い小ずるい娘である。うちに連れてきたって、何の役にも立たないだろう。まさか小間使いをしていた娘を、農作業に使うわけにもいかないし。
「お父さまがあの子を買った理由はただひとつ。ディルシーに頼まれたんでしょう」
お父さまはすっかりうろたえてしまった。図星だったからだ。笑ってしまう。
「だったら何だっていうんだ」
居直ってきた。
「ディルシーを買ったところで、わが子恋しさに毎日泣かれたらたまったもんじゃない。全くもう二度とよその奴隷との結婚は認めんぞ。金がかかって仕方ない」
機嫌が悪いふりをしたお父さまは、私の腕をぐいとひいた。
「さあ、スカーレット、夕食だ」
だけど私はぐずぐずしていた。いちばん肝心なことを何も聞いていないのだ。
「オークス屋敷の皆さんは、元気だった?」
遠まわしにアシュレのことを尋ねたのだが、お父さまに通じるはずがない。
「ディルシーの件がまとまった後、ベランダでみんなでラム酒を飲もうということになったんだ。ちょうどアトランタから帰ってきたばかりの客が来ていた。あちらは、戦争がいつ始まるかと大変な騒ぎだそうだ」
また始まったと、私はため息をつく。お父さまはこの話題が大好きなのだ。このまま続くと、本当に大切なことが聞けなくなってしまう。
「それよりも、明日のバーベキューパーティーのこと、何か言ってなかった?」
「そういえば、何か言っていた。えーと、名前をなんと言っただろうか。昨年パーティーに来ていた、あの優しい娘……アシュレの従妹の……おお、そうだ、ミス・メラニー・ハミルトンだ。彼女と兄さんのチャールズがもうアトランタから来ていたぞ」
「メラニー、やっぱり来ていたの!?」
心臓が音をたてる。さっきタールトン兄弟が口にした情報、
「明日のパーティーで、アシュレとメラニーの婚約が発表される」
が実現に近づいたことになる。
「ああ、メラニーはしとやかで本当にいい娘さんだ。さあ、早く行こう。母さんが探しに来るぞ」
私はとてもそんな気分にはなれない。このまま夕食の席につくなんて。そして私は、いちばん肝心なことを口にした。
「アシュレもいたの?」
そのとたん、お父さまは腕をふりほどいて私の顔をまっすぐに見た。こういう時、お父さまの目は鋭さを増す。
「お前はそれを聞きたくて待っていたんだな。だったらどうしてそんなにまわりくどい聞き方をするんだ」
今度は恥ずかしさで私は泣きたくなる。お父さまにこのことを知られたくなかった。だけど心のどこかで、お父さまに打ち明ければどうにかしてくれるという、甘えた気持ちがあったのも事実だ。アシュレのお父さんと私のお父さまとは、隣り同士でとても仲よしなのだもの。
昔、お父さまがこのタラにやってきた時、ウィルクス家はもう大きな屋敷を構える名家だった。けれども何の差別もなくお父さまを受け入れてくれたのだ。
「お前はアシュレにもてあそばれたのか。結婚しよう、とでも言われたのか。え?」
お父さまは私を睨むように見る。
「いいえ」
と私はかぼそい声で答えた。
「そうだろうな。この先も絶対にあり得んな」
ひどい、いくらお父さまでもひどい。慰めてくれるかと思ったのに。私はそれが癖の、相手の胸をどんどんと叩こうと手を上げた。しかしお父さまの方がはるかに力が強い。私の手は空でつかまれる。
「もう何も言うな。さっきジョン・ウィルクスから聞いた。アシュレはメラニーと結婚する。明日発表するそうだ」
ああ、やっぱりと、私はその場にくずれおちそうになった。十六年生きてきて、これほど衝撃的なつらいことは初めてだった。それなのにお父さまは大声で怒鳴る。私は叱られることは何もしていないのに。
「まさかお前は、自分が笑い者になるようなことをしていないな。どんな男だって手に入れられるというのに、好きになってもくれない男を追いまわしたりしていないな」
私はほんの少しだけれど誇りを取り戻すことが出来た。
「追いまわしてなんかいない。ただ、ちょっと驚いただけ」
「嘘つくんじゃない」
お父さまの顔が元に戻った。そして私の顎をいとおしそうにつまむ。
「お前はまだ子どもなんだ。男の何たるかが何もわかっていない」
「私は十六よ。子どもなんかじゃない。お母さまがお父さまと結婚した時は十五歳だったじゃないの」
「お前は母さんとは違う」
確かにそうだ。お母さまは完璧だ。この大農園の女主人としても母親としてもだ。でも私だって結婚すれば、きっとうまくやってみせる。みんなが考えているような、ただの我儘娘ではない。
「タールトンの家の息子の、どっちかと結婚しろ」
突然お父さまが言った。
「双児だからどっちでも構わないだろう。二つの農園が一緒になったらたいしたもんだ。あそこの父親とわしとで、大きな屋敷を建ててやろう」
「タールトンの双児なんてまるっきり興味ないわ」
腹が立ってきた。首を大きく横に振る。
「家なんか欲しくないし、農場なんて関係ないもの。私はただ……」
「アシュレと結婚したいんだろ」
お父さまは微笑んでいた。優しい悲し気な微笑み。
「だけどアシュレとでは幸せにはなれん」
「そんなこと、わかんないじゃないのッ」
「スカーレット、結婚っていうのは、似た者同士がして、初めて幸せになるんだ。わしらとウィルクス家の人たちとは違う」
「違わないもの」
「いや、お前だってとうに気づいているはずだ。連中は変わってる。生まれついての変わり者だ。ニューヨークやボストンまで、オペラだの絵を見に行く。オペラなんて、お前知ってるのか。知らないだろう。それからお前が大嫌いな本が、連中は大好物だ。フランスやドイツから本を取り寄せて読みふける。毎日静かに座って、本を読んで夢を見てるんだ。ここらの男が、狩りやポーカーをしている時にね」
「アシュレだって狩りをするわ。乗馬だって得意よ」
私は必死だ。お父さまを味方につけようと決めていたから。
「ああ、あいつは何でも出来る。ポーカーもうまい。しかし心はそこにはないんだ」
「心がなくてもいい。アシュレは私が変えてみせる。きっと変えてみせるもの」
「無理だ」
お父さまは私の腕を自分の腕に再びからめた。
「お前は泣いてるじゃないか。さあ、現実をちゃんと見つめろ。アシュレをお前は到底理解出来ない。諦めるんだ。代わりに別の男と結婚しろ。そうしたらこの土地は、お前とその男のものになるんだ」
「私、いらない。土地なんていらないの」
私はお父さまの腕をふりほどいた。こんな赤っちゃけた土地なんて、私にとって何の価値もない。それなのにお父さまは私に継がせようとしているんだ。
「お前、本気で言っているのか」
お父さまの声があまりにも低く静かで、私はいつものように「そうよ」と返すことが出来ない。
「この世でただひとつ。価値あるものは土地だけなんだ」
ああ、お父さまは根っからのアイルランド人なんだと思う。
「いいか忘れるな。土地だけが汗を流す価値があり、戦う価値があるものなんだ」
お父さまの言葉をもう私は聞いていない。私は決心する。
アシュレだけが、本当にアシュレだけが、この世でただひとつ戦う価値があるもの。もうお父さまはあてにならない。私は一人で戦う。そして必ず彼を手に入れてみせるのだ。
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