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2019.10.7

【第4回】世界中で読み継がれる名作『風と共に去りぬ』を林真理子が鮮やかにポップに、現代甦らせた!『私はスカーレットⅠ』第1章~第3章を無料公開中!

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【第4回】

第3章

 私が大嫌いなもの。

 それは考えることと、焦らされること。

 たとえそれが最悪のことだって、本当のことがわかるまでじりじりしながら待っているのは耐えられない。

 アシュレとメラニーが結婚するか、どうか。私はそれを知っているに違いないお父さまを、テラスで待つことにした。

 落ち着こう、落ち着こうと思っても、心がうまく動いていかない、という感じ。こんなことは初めてだった。私は呼吸を整えながら道の向こうを見つめた。

 いつものようにうちの農園に、静かな黄昏が訪れようとしていた。さっきまで赤く燃えていた地平線は、夕陽が落ちて静かな薄紅色に変わっていた。空はいつのまにかコマドリの卵のような淡い青緑色になっている。

 川の向こうの丘の上では、ウィルクス家の白く高い煙突が、まわりの木の影にだんだん見えなくなってきている。小さく光っているのはランプの灯りだ。あそこからお父さまは帰ってくるはずなのに、まだ姿が見えない……。

 私はお父さまのことが大好き。おそらく郡中探しても、私ぐらい父親が好きな娘はいないだろう。三人の息子が生まれてすぐに死んでしまったから、お父さまはまるで私を男の子のように扱った。仲よしの私たちの間では・協定・が出来ているほどだ。それはそれぞれの秘密を守ること、そして嘘をつかないこと。

 お父さまは私が、夕方遅くまで男の子とテラスでお喋りをしていても、決してお母さまやマミイに告げ口をしなかった。その場で小言を口にしても。

 その代わり私も、お父さまが馬で柵を越えてもお母さまに言いつけたりはしない。柵を越えるのはとても危険なことと、お母さまは許さないのだ。だってお父さまは年をとっている。もう六十歳のお爺さんだ。

 どうしてこんなに年をとっているかというと、アイルランドからたった一人でやってきて、無我夢中で働いていたから。あの頃、イギリスの圧政に苦しんでいたアイルランドから、たくさんの移民がアメリカに渡ってきたというのを、女学校の時に習ったような気がするけれど忘れてしまった。歴史の時間なんか大嫌いだったから。

 お父さまは、先にアメリカにやってきて、雑貨屋を開いていたお兄さんたちのところに身を寄せた。お父さまは言う。あの頃のアメリカというのは、アイルランド移民にとても優しかったと。どちらもイギリスに苦しめられていた過去を持つ。

 お父さまはお酒と賭けごとがとても強かった。ある日、お父さまは南部の大農園主と夜通しポーカーをして、ポークを手に入れたのだ。ポークは今もうちにいる、お父さま付きの従者だ。他の農作業に携わる奴隷とはまるっきり違う。ピカピカした黒い肌は綺麗だし、ものごしに威厳があった。お父さまはポークを自分のものにしたことで、紳士への道を歩み出したわけ。

 この後のことを、お父さまはあまり話したがらない。私が知っていることは二つ。お父さまはある時から、南部の大農園のオーナーになることを夢みるようになったこと。そしてそれをポーカーで手に入れたということ。だけどかなりフェアなやり方だ。恥ずべきことは何もない。

 お父さまはある夜サヴァンナの酒場で、一人の紳士と知り合った。彼はこう語ったそうだ。

 十年以上前のこと、州政府はネイティブ・アメリカンから譲り受けた、ジョージア中部の広大な土地を抽選で分配した。紳士は抽選に当たり、その土地を手に入れたものの何もいいことがなかった。収穫出来るようになった頃、屋敷が火事で焼け落ちてしまった。あそこはまさに呪われた土地だ。もう早いところ手放してしまいたいと。

 お父さまは偶然その時、かなりの大金を持っていた。お兄さんたちから預った売り上げ金だ。

 お父さまはニコニコしながら紳士に持ちかけた。これをすべてチップにするから、賭けをしないか。あんたは土地の所有権を差し出してくれればいいと……。

 そしてお父さまは勝ったのだ。何ひとつずるいことをしたわけではない。お父さまはその土地を切り開き、お兄さんたちから借りたお金で農作業用の奴隷を買った。綿花をつくるために。

 やがてお父さまはこの土地をタラと名づけた。

 タラってどういう意味? 聞いてもお父さまは教えてくれない。

 お父さまは聞けばたいていのことを話してくれたけれど、このタラという土地の名前の由来と、お母さまとのなれそめは絶対に話してくれなかった。

 二人は娘の私が見ても、まるっきり釣り合いが取れていない夫婦。お父さまのことは大好きだけれど、さえない外見なのは本当だもの。五フィート(百五十二センチ)のチビで、ものすごいがに股。アイルランド人特有の赤毛で、鼻も口も大きかった。それにひきかえ、お母さまはすらりと背が高い。お父さまはお母さまの肩までしかなかった。

 そして、これは重要なことだけれど、お母さまはまだ三十二歳なのだ。信じられる? お母さまは二十八歳年上の、自分よりずっと年上の男と結婚したのだ。

 妹のスエレンが、ケネディというおじさんに熱をあげていて、私はとても信じられないんだけど、あの人だって二十数歳ぐらいの年の差。お母さまは十五歳の時に、四十三歳の男の人と結婚したのだ。

 私だったらとても考えられない。もし今、そんな求婚者が現れたら、ゲラゲラ笑い出してしまいそうだ。こんな話をすると、お母さまがとても貧しい家の娘のようだけれど、正反対だ。お母さまの家は、サヴァンナきっての名家で、お祖父さまの名前はピエール・ロビヤール。そう、フランスからやってきた誇り高き一族だ。だから今でもお母さまが喋る言葉にはフランス訛りがある。そんな名家の令嬢と、大農園主となったものの、アイルランド移民のお父さまとの結婚は、それこそ奇跡のようだ。

 だから今でも、お父さまはお母さまに頭が上がらない。まるっきり。

 「オハラさま……」

 お母さまはお父さまのことをそう呼ぶ。このあたりでは、夫に敬語を使うのはそう珍しいことではない。敬語を使いながらお母さまは命じる。

 「どうか、馬で柵を越えるのはおやめください。あなたさまはよく酔っぱらって馬にお乗りになります。それがどれほど危険なことか、どうかよくお考えください」

 並木道から、こちらに向かってくる馬の姿が見えてきた。お父さまだ。この勢いでは柵を越えるに違いない。だけどもちろん私は黙っている。告げ口をしないのは暗黙のルールだったし、お父さまとは重要な話があるのだから。

 

 やっぱりそうだった。馬は苦もなくひらりと柵を乗り越え、お父さまは歓声をあげた。そして馬から降りると、よしよしと首を叩いた。

 「お前は郡でいちばん、いや、州でいちばんの名馬だ。本当に素晴らしい」

 お父さまは自分の馬だけでなく、すべてのものに優しい。いつもガミガミと怒っているようで、誰からも好かれるのは、その優しさがすぐ伝わるからだ。お父さまが奴隷たちの小屋にやってくると、みんな大喜びする。

 「なんだ、その汚れた顔は。お前なんか奴隷商人に売ってしまうぞ」

 などと言いながら、お父さまが黒人の子どもの頬を軽くつねる。すると相手はキャッキャッ笑い出す。お父さまが決してそんなことをしないのは誰でも知っているからだ。お父さまは奴隷をいっさい売らないし、ムチで叩いたのは一度きりだ。今回だって離ればなれになった家族を一緒にしようと、うちの奴隷の妻をウィルクス家に譲ってもらいに出かけたのだ。

 「お前ほど賢い馬は見たことがない。さあ、たっぷりとエサを食べて、もうおやすみ」

 お父さまが、アイルランド訛りで馬に語りかけるのがおかしくて、私はつい笑い声をたててしまった。

 「何だ、お前はそこにいたのか」

 お父さまは馬の手綱をはずし、私に近づいてきた。そして可愛くてたまらない、という風に私の頬をつねった。

 「お前までわしを見張ってたのか。スエレンみたいに母さんに言いつけようとするのかい」

 そんなことを私がするはずがないとわかっているのに、お父さまは怒ったふりをする。私は黙ってお父さまのネクタイを直してやった。お父さまから、強いバーボンのにおいとミントの香りがする。それだけではない。もっと近づくと革と馬のにおいもする。そして私は、お父さまのことが大好きだと心から思う。背は低いし、髪は白髪だ。鼻は丸っこくて美男というのとはほど遠い。だけどお父さまは優しくてまっすぐな人だ。そのことを人に気づかれるのが耐えられず、すぐに怒鳴りまくるけれど。

 「お父さま、去年膝を壊したばかりじゃないの。それなのにまた同じ柵を越えるなんて、私、信じられない」

 お父さまはフンと鼻を鳴らした。

 「骨を折ろうと折るまいとわしの勝手だろ。お前こそショールをかけないで、こんなところで何をしているんだ」

 「お父さまを待っていたのよ」

(【5】に続く)

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