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2018.7.12
【第3回】池井戸潤の大人気シリーズ、待望の最新刊『下町ロケット ゴースト』第1章[3]を無料公開中!
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この夏、最注目小説の第1章を特別連載。シリーズ累計250万部突破の大人気シリーズに、待望の最新刊が登場! 大田区の町工場・佃製作所にまたしても絶体絶命の危機が訪れる。そんな中、社長の佃航平は、ある部品の開発を思いつくのだが……。宇宙(そら)から大地へ――いま、新たな戦いの幕が上がる!
第1章 ものづくりの神様[第3回]
「トノさんからは連絡ありましたか」
その夜、仕事の後に社員たちと繰り出した近所の居酒屋で、山崎が心配そうにきいた。
「心筋梗塞だったそうだ」
父親の病状を知らせる殿村からの連絡は、つい一時間ほど前にあったばかりだ。
「散歩中に倒れてるのを近くを通りかかった人が見つけて、救急車で運ばれたらしい。発見が早くてなんとか一命は取り留めたらしいんだが、なにせ高齢なんで、快復にはしばらくかかるだろうとのことだった」
「殿村部長の実家、たしか農家でしたよね」
営業第二部の江原春樹がいった。やはり心配そうに眉根を寄せている。「ご両親が田んぼをやってるって聞いたことがあります。農閑期ならともかく、この時期ですから、いろいろ大変なんじゃないですか」
「そうなんだよ」
佃は渋い顔でこたえると、近くにいる迫田に向かって、「トノが復帰できるまで、頼むぞ」、そう声をかける。「もしかすると、長びくかも知れないから」
「はあ、なんとか……」
突如降ってきた重責に、迫田はいかにも頼りなげだ。「経理処理はいいんですが、銀行さんとの借入交渉となると部長みたいにはいかないんですよね。さっき部長の帰り際にも、来期以降の経営計画を見直してみてくれとはいわれたんですが、どこをどういじっていいものやら」
「ヤマタニの件があるからな。すまん」
津野が頭を下げた。「なんとかウチで穴埋めできるように、がんばるからさ」
居酒屋二階にある座敷はほぼ貸し切りである。
金曜日の夜、手が空いた連中に声をかけて飲みに出るのは佃製作所の半ば恒例行事だが、この日も二十人近い社員たちがいて好き勝手に飲み食いしていた。自由参加で会費はひとり三千円。それを超える分は、佃が払うのが暗黙のルールだ。
「その件なんだけどさ、ツンさん」
そのとき唐木田が割って入った。「そう簡単なことじゃないと思うんだよな。ヤマさんも聞いて欲しいんだけど、ウチはそもそも、エンジンはより高性能であるべきだというスタンスでずっとやってきたじゃないか。でも、それが本当に顧客ニーズにマッチしているのか、考えなきゃいけないところに来てるんじゃないか」
佃製作所の存在意義に関わる問題提起だ。
「ヤマタニの業績が今ひとつなのも影響してると思うんです」
江原が指摘した。「ここのところ減収減益で、新社長にも焦りがあるんじゃないですか」
「それもあるんだろうけど、新社長の若山さんは農機具畑出身だろ。私はそこに危機感を抱いてしまうんだよ」
唐木田はいった。「いってみれば、〝技術のヤマタニ〟が技術を捨てたんだ。そこには、それなりの重たい事情ってものがあるんじゃないか」
津野を始め、エンジン担当の営業第一部の部員たちがそれぞれに押し黙った。エンジンは佃製作所のいわば米櫃であり、津野たち営業第一部には会社の屋台骨を支えてきたという自負がある。佃の隣にかけている技術開発部長の山崎も眉間に皺を寄せ、
「つまり、何がいいたいんですか」
苛立ちを滲ませてきいた。「エンジンの性能アップを目指すのは意味がないと、そういうことですか」
「意味がないとはいわない。私自身はエンジンは可能な限り高性能であるべきだと思うよ」
唐木田は、あくまで冷静に応ずる。「だけど、性能云々をいう前に、我々はそれを実際に使うお客さんに目を向けてきただろうかと、それをいいたいわけ」
厳しい指摘に、場はますます深刻な雰囲気になっていく。
「まあそれはわかるけどね、唐木田さん」
山崎が論駁を試みた。「ヤマタニはさ、エンジンなんか動けばいいっていってるんだよ。動けばいい、はないでしょう。それが日本を代表する農機具メーカーのいうことですか」
「ヤマタニだって、そう言いたくて言ったわけじゃないと思う」
津野が、いつになく神妙な顔で弁明を口にした。「オレは長年ヤマタニと付き合ってきたし、新社長の若山さんのことも実は知ってる。あの連中は、真摯にお客さんと向き合っているし、だからこそウチも取引してきた。そのヤマタニがそういうからには、無視できない経営環境の変化があったんじゃないかな。残念ながら、オレは、エンジンを売ることばかり考えて、そこまで思い及ばなかった」
これにはさすがの山崎も返す言葉がない。しんみりした雰囲気の中、
「ウチの仕事を見直すいい機会じゃないか」
佃は全員の顔を見回した。「何が求められているのか。どう変えていかなければならないのかみんなで考えていこうや」
「だけど、ダイダロスと安売り競争になったら嫌だなあ」
そういったのは営業第一部の若手、村木昭夫だ。江原と並ぶ、若手のリーダー格である。
「安売りはしない」
佃はきっぱりと否定した。「安くするために劣化版のエンジンを作ることもしない。オレたちの強みは、あくまで技術力なんだ。技術をウリにしている会社が、技術に背を向けてどうする。ユーザーと向き合うことと、ユーザーにおもねるのとは違う」
我が意を得たりと、ようやく山崎が毅然とした顔を上げた。佃は続ける。
「今回の失敗を糧にして、オレたちはオレたちのやり方で、取引先やユーザーと向き合っていこうじゃないか。きっと、ウチにしかできないことがあるはずだ」
果たしてそれが何なのか――。
それを早急に見つけ出すのが、佃製作所に突きつけられた喫緊の課題であった。
『下町ロケット ゴースト』は7月20日発売です。
小学館文庫『下町ロケット ガウディ計画』を7月6日に刊行しました。
最新情報は小学館「下町ロケット」特設サイトをご覧ください。
『下町ロケット ゴースト』第1章無料公開全5回、毎日更新します!
第1回(7月10日公開)
第2回(7月11日公開)