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2018.7.11

【第2回】池井戸潤の大人気シリーズ、待望の最新刊『下町ロケット ゴースト』第1章[2]を無料公開中!

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【第2回】池井戸潤の大人気シリーズ、待望の最新刊『下町ロケット ゴースト』第1章[2]を無料公開中!

この夏、最注目小説の第1章を特別連載。シリーズ累計250万部突破の大人気シリーズに、待望の最新刊が登場! 大田区の町工場・佃製作所にまたしても絶体絶命の危機が訪れる。そんな中、社長の佃航平は、ある部品の開発を思いつくのだが……。宇宙(そら)から大地へ――いま、新たな戦いの幕が上がる!

第1章 ものづくりの神様[第2回]

 「この計画通りなら、来期、赤字になるかも知れません」

 帰社してすぐに開いた打ち合わせで、経理部長の殿村直弘は深刻な顔で腕組みをした。

 縦長の顔に大きなぎょろ目、そんな殿村の通称は「トノ」だ。トノサマバッタのトノである。馬鹿丁寧でまどろっこしいところは玉にキズだが、佃製作所にとってなくてはならない経理の要であり、佃が全幅の信頼を置く相談相手でもある。

 「赤字」のひと言に、緊急に集まった佃製作所の役員たち――技術開発部長の山崎光彦、営業第一部長の津野薫、営業第二部長の唐木田篤の三人が、揃って顔色を変えた。

 営業第一部は主要製品であるエンジン担当。営業第二部は、それ以外の製品を担当しており、津野と唐木田は互いに競いあう好敵手だ。

 山崎が憤然としていった。

 「ヤマタニもひどいですね。事前にそれとなくアナウンスぐらいしてくるのが常識じゃないですか。ツンさん、聞いてなかったんですか。こんなの、はしご外しでしょう」

 「聞いてないよ、こんな話」

 津野が首を横に振った。

 「蚊帳の外に置かれたんじゃないの」

 冷ややかにいったのは唐木田だ。「少なくとも、ウチを出し抜いたダイダロスは聞いてたはずだ。新社長の方針というけど、その方針を売り込んだのはダイダロスかも知れない。だとすると、はしご外しというより、単なる負けだ」

 元外資系企業の営業部長だった唐木田は、ビジネスには厳しい。津野が怒りに顔を赤くしたが、反論しないのは自分のミスを認識しているからだ。本来、ヤマタニの情報収集は営業第一部の仕事だからである。

 「たしかに最近、ダイダロスの名前をたまに聞くようにはなりましたね」

 山崎が難しい顔でいい、顎のあたりを撫でている。「最初は、安かろう悪かろうだとバカにしてましたけど」

 「そもそもどんな会社なんですか、ダイダロスって。相手のことは調べたの」

 唐木田の問いは、殿村に向けられていた。元銀行員だったこともあり、信用調査は殿村の仕事になっている。

 「先ほど東京インフォスの担当者に問い合わせて資料を至急送ってもらいました」

 東京インフォスは、佃製作所が契約している信用調査会社だ。殿村は手元の資料に目を落としながら続ける。「株式会社ダイダロスは、元は株式会社大徳技術工業という名称で、昭和四十年に品川区で開業しています。創業したのは大日本モーターの技術者だった徳田敬之氏です。小型動力源となるモーターなどの開発製造から、その後小型エンジンに参入し、長い間、浜松オート工業の専属下請け企業としてエンジン開発に従事してきましたが、業績が低迷。鳴かず飛ばずのまま、十二年前に敬之社長が病気で引退することになり、それまで専務だった長男、秀之氏が社長を継ぎます。その後の業績も相変わらずでしたが、数年前、その秀之氏がついに経営権を手放し、外部の重田登志行現社長が就任しました。その重田社長の新しい経営方針により業績が急回復し、現在に至っております」

 重田という名前を、佃は手元のノートにメモした。殿村は続ける。「昨年度の同社の売上げは五十億円。経常利益六億円、税引き前当期利益四億三千万円と、この規模の会社としては実に良好な収益にあるといっていいと思います。現在タイに新工場を建設中で来年度の操業を目指しており、これが完成すればさらに同社の低価格路線に弾みがつき、いま以上に我々にとって脅威になる可能性があります」

 殿村の説明が一段落すると、危機感と疑問の入り混じった沈黙が訪れた。

 「その重田というひとはどういう経歴なんですかね」

 唐木田が問うた。

 「残念ながら、この調査票では詳しいことはわかりません。プロフィールには、実業家とだけ書かれていますね。資料によりますと、ダイダロス株の大半を所有しており、実質的なオーナーです」

 「それだけ業績を急回復させるというのは至難の業でしょう。どうやったんです」

 津野が質問した。

 「徹底したリストラと、低価格路線を追求したようです」

 殿村はこたえた。「コストを抑えるために生産拠点を海外に移すと同時に、余剰となる正社員を大量解雇したと」

 「利益のために社員を犠牲にしたわけだ」

 津野は皮肉っぽくいった。「たしかに、すごい経営方針だ」

 そのとき――。

 ドアがノックされ、経理部の迫田滋がひょいと顔を出したかと思うと、殿村にメモを渡して出ていく。

 「トノ、どうした」

 それを読んだ殿村の表情が強張ったのを見て、佃が声をかけた。

 「なんでもありません。失礼しました」

 殿村はメモを慌ててポケットにしまい、改めて続ける。「いずれにしても、ダイダロスが強敵であることは間違いありません。油断は禁物です」

 「ごめん、トノさん。本筋とは関係ない質問なんだけど、ダイダロスってどういう意味なんですか」

 そんな山崎の疑問に、

 「たしか、ギリシャ神話に出てくる物作りの神様の名前だったと思うな」

 殿村の代わりに唐木田がこたえた。「前職で業種は違うがまったく同じ名前の会社と取引があってね。少なくとも、二流品を大量生産する会社に相応しい名前とは思えないけど」

 「とはいえ、二流品を安く売るのも立派なビジネスです」

 津野が認め、頭を下げた。「今回のことは申し訳ありません。今後、他の会社でも競合してくると思いますので気を引き締めてのぞみたいと思います」

 「なんとかヤマタニの穴を埋めようや。みんなでがんばろう」

 それにしても――。

 コストのために、社員たちを切る。

 「利益が出りゃそれでいいのか」

 打ち合わせを終えて自室に戻ると、自然にそんなひと言がこぼれ出た。

 少なくとも佃はいままで、社員をコストだと思ったことはない。ひとりずつがかけがえのない財産だ。最優先で、守らなければならないものである。

 「こんな会社に負けてたまるか」

 またひとりごちた佃だが、そのときドアがノックされて顔を上げた。

 おや、と思ったのは、いつになく蒼ざめた殿村の表情をそこに見つけたからである。

 「あ、あの社長――」

 入室してきた殿村は、明らかに狼狽しているように見える。「こんなときに申し訳ないですが、二、三日、お休みをいただきたいんです。実は、先ほど、父が倒れまして」

 なにっ、というなり、佃は立ち上がっていた。

 「どうやら、心臓のようで。これから詳しい検査をして、その後緊急手術になるだろうと」

 先ほど打ち合わせの最中、迫田が差し入れていたメモのことを佃は思い出した。きっと、実家からの緊急連絡だったのだろう。

 「わかった。すぐに行ってくれ。会社のことは心配しなくていいから、早く――」

 「すみません、社長。こんな大事なときに、ほんとにすみません」

 表情を歪め、申し訳なさそうに何度も詫びる殿村に、

 「そんなこといいから」

 佃はいった。「会社のことはなんとかする。それより、早くお父さんのところへ行ってあげてくれ」

 「ありがとうございます。では――」

 殿村は、律儀に深いお辞儀をして佃の前を辞去すると、あたふたと部下の迫田に仕事を引き継いで、栃木にあるという実家へと帰っていった。

 

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小学館文庫『下町ロケット  ガウディ計画』を7月6日に刊行しました。

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第1回(7月10日公開)