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2016.11.11
大河ドラマもいよいよクライマックス、大坂冬の陣! 『真田三代と真田丸のすべて』歴史から戦略まで、物語をよむようにわかる!
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「真田丸」とは、大坂冬の陣において、
難攻不落といわれた大坂城の巨大な惣構え(城郭)の、
さらに外側に設けられた出城のこと。
大坂冬の陣、
攻め寄せる20万の徳川方に対し、
籠城を決め込んだ豊臣方。
唯一の弱点にみえたこの場所に
出城を築いたのが、のちに講談などで
英雄として語られる真田幸村(信繁)です。
戦闘開始から半日あまりで
前田利常や井伊直孝の軍勢を退け、
徳川方に多勢をたのんでの
強攻策をあきらめさせました。
真田氏の初代・幸綱から、二代昌幸、
大坂夏の陣後の幸村と遺児のゆくえまで。
仕えていた武田氏滅亡後に独立し
戦国大名となった二代昌幸は
第1次上田合戦で徳川方を破り、
小田原合戦では秀吉のもとに。
天下分け目の関ヶ原合戦をまえには、
次男である幸村とともに西軍に、
嫡男の信幸は東軍につかせて、
“家の存続”を図りました。
徳川を翻弄する、最後の名将とよばれた
幸村の戦略と戦術を、詳細に解説。
関ヶ原へ向かう徳川本隊を率いる秀忠を
第2次上田合戦で足止めさせた幸村は、
関ヶ原合戦後、高野山へ配流されます。
そして、方広寺鐘銘事件で窮地に陥った
豊臣方からの要請を受け、
幽閉されていた九度山から脱出し大坂城へ。
冬の陣、夏の陣で奮戦ののち、
大坂城落城とともに自刃。
戦国時代研究の第一人者・小和田哲男氏
松代真田氏14代の眞田幸俊氏による対談を収載!
豊富な図版、写真、地図満載で、
真田三代の事績や歴史の流れ、
合戦の地、周辺の登場人物、系図など、
とにかく真田三代がよくわかります!
大河ドラマを、これまでしっかり追っかけて来た人、
これからはじめて見ようという人にも、
スッと理解ができて楽しめます!
小和田 哲男/監修
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