





小学館の学習雑誌『小学一年生〜六年生』に同時掲載されていたまんが『ドラえもん』は、学年ごとに内容が描き分けられていました。
その中から国語、算数、理科、社会など、学習のきっかけになる楽しいお話をセレクトして〝学年ごと〟にまとめました!
科学知識や、算数の重要な視点に触れ、こんな粘土があったら何を作ろう?という想像力も育みます。
▲このコマを用いて、いろいろな『仲間分け』の学習に発展できます。身の回りの出来事には、実は“不思議”が詰まっているという一例です。作品を通じて気象への興味や関心、知識が増えていきます。
ドラえもんが未来の世界へ帰るという涙なしでは読めない名作。お互いのことを考える「思いやる心」が育まれます。
『ドラえもん』が今回、学年別に再編集されるということですが、すごくいいと思う。むしろ遅すぎたくらいなんじゃないでしょうか(笑)
ファンには自明のことですが、『ドラえもん』は元々、それぞれの学年誌に連載されていた漫画です。藤子・F・不二雄先生は、それぞれの年齢にあわせた作品を描いていました。それを学年に関係なく再収録したものが、「てんとう虫コミックス」です。
「てんとう虫コミックス」で読む『ドラえもん』も、これはこれで面白いのですが(僕も全巻持っていて、たまに読み直しますが)、初めて『ドラえもん』に触れる子どもたちにとっては、難しくもあり、簡単すぎもした。低学年からすると、高学年向けの作品は難しいし、逆に低学年向けの作品は、高学年には物足りなく感じることもあるでしょう。
ところが、改めて学年別にセグメントされたことによって「自分たちのドラえもん」が帰ってきたのです。私が小学生なら歓喜していましたね(笑)。だって藤子・F・不二雄先生が、自分たちの学年にめがけて、届けてくれた作品なんですから。むしろ、学年別に再編集したことで、小学生の新たなファンが増えるのではないでしょうか。
で、自分たちにあった『ドラえもん』の〝スコシフシギ〟な世界を学年別に存分に味わって、中学生くらいになったら、藤子・F・不二雄先生の傑作「SF・異色短編」(『藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編』全4巻)を読んでほしいなあ。
僕自身、「ぼく、桃太郎のなんなのさ」(てんとう虫コミックス9巻収録)に出会って、『ドラえもん』をSF作品として読む、という視点を獲得しました。この作品は、タイムパラドックスを面白くかつわかりやすく描いた傑作です。
舞台もそうですが、難しいものを難しいまま表現することは、意外と簡単です。その反面、難しいものをわかりやすく描くことはできそうでできない。『ドラえもん』はSFを子ども向けに見事に表現しています。
学校教育の現場でも、『ドラえもん』が利用されるようになっています。
例えば光村図書の小学二年生の教科書『こくご 下』では、「あったらいいな、こんなもの」というテーマで、新しいひみつ道具を考えて発表するという単元を用意しています。
これはこれで素敵な試みなのですが、「新しく生み出す」という課題はハードルが高い。歴史を振り返っても、新しいものを発明する人は、何万人、いや何千万人に1人でしょう。子どもたちは、難しい課題を前に、学ぶことが嫌になってしまうかもしれません。本来、学ぶことはワクワクすることなのです。一度ワクワクしてしまえば、ほっといても子どもは勝手に学び続けます。
では「発明できない」人はどうしたらいいでしょうか。
簡単です。「応用」すればいいのです。
もし僕が学校の先生なら、「新しいひみつ道具」を考えさせるのではなく、すでにあるひみつ道具の「自分ならではの使い方」を提案させます。今あるものを利用して、新しい使い方を考える。これって、生きる知恵ですよね。
ゼロから何かを生み出す発明は、世間的にも評価されます。しかしそれと同じくらい、実は「応用する力」も大事なのです。なぜなら、応用によって発明に日が当たっているのですから。
『ドラえもん』という作品の中で、のび太という少年は、実に見事な存在の仕方をしています。
現代社会は、スマホとSNSによって、自意識が肥大化しています。小さい頃から「いいね」を求めて、自己承認欲求が強くなっています。今の子どもたちは、他人の視線を常に意識し、自分の振る舞い方を規定しているといえます。
ところがのび太は自意識がほとんどありません。いつでも呑気。この無意識さ加減は特筆に値しますし、見習いたいと思う。
「ひみつ道具の応用」でも、のび太は失敗ばかりです。あれほどの道具なんですから、大成功を収めてもいいはずなのに、いつもうまくいきません。にも関わらず、くじけない。諦めない。そして、ドラえもんが驚くようなオリジナルの使い方を編み出すのです! なんという応用力でしょうか(それが失敗を招いたりするのですが……)。
「応用」という視点で見ると、『ドラえもん』は、「のび太がどのようにひみつ道具を応用したか」を描いた物語であることがわかります。「ひみつ道具」(=発明)に目がいきがちですが、応用力もまた、作品の肝だと思います。
脚本でもそうですが、主人公が苦労もせずに成功を収めた物語は、誰も感情移入してくれません。例えば銀行強盗を描いたとしましょう。大金をせしめたけど偽札だったとか、ひょんなことからばれて捕まったとか、そういうマイナスの結末がないと納得できません。のび太は見事に、あっと驚く応用をしてみせて、その結果ずっこけるという見事なオチを提供しています。
藤子・F・不二雄先生はこうしたことを十二分に意識した上で、起承転結を短いページの中で見事に表現しています。やっぱりすごい作品だなあ。
今でも時折、『ドラえもん』を手に取ります。単純に楽しむためです。で、ネタに詰まった時は引き出しを開けてみて、「たまには出て来てくれないかなあ」と覗いてみるのですが、残念ながら一度もそんなことはありません。