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【青菜】
昭和53年(1978)7月31日/第211回
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馬生の寄席ネタの定番で、東横落語会でも何度も掛けている。50歳のこの口演では無駄なせりふを省き、真夏の昼下がりの時が止まったような雰囲気がよく伝わる。後半、女房のぞんざいな口ぶりと、やりこめられる植木屋のやりとりに客席は爆笑。マクラで語る人形町末廣の夏の情景も貴重。
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【あくび指南】
昭和54年(1979)9月28日/第225回
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『青菜』同様、せりふがよく整理され、あくびの稽古というのんきな情景をユーモラスに描く。噺の気分と演者のキャラクターがぴたりと一致した一席。50代にさしかかる頃には力みもすっかり消えて、独特のやわらかなスタイルを確立していた。
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【明烏】
昭和52年(1977)5月30日/第197回
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馬生の十八番で、昭和48年には芸術祭優秀賞を受賞している。東横には3席の録音が残るがいずれも出来はよく、客席のウケがもっともよく録れているものを選んだ。遊び人の源兵衛・多助と生真面目な若旦那が漫画的に対比され、笑いを増幅させる。
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【幾代餅】
昭和54年(1979)11月30日/第227回
- 東横でも繰り返し演じた噺。恋に落ちた若者の振る舞いや周囲の反応を笑いたっぷりに演出しつつも、その一途な想い、幾代花魁の決意はけれん味なくストレートに描く。噺の芯をけっして外さない、みごとな出来映え。
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【今戸の狐】
昭和50年(1975)1月28日/第169回
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今戸焼の狐と、3個のさいころを使う博打の「きつね」を混同して起きる珍騒動。多くの予備知識をあらかじめ仕込んでおかないと成り立たず、近年は演り手が少ないが、馬生は物語の進行に合わせて仕込みを小出しにしているため、ごく自然に聴ける。
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【うどん屋】
昭和55年(1980)12月29日/第240回
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馬生は晩年になるほどに、言葉の無駄を省いて「間」を生かすようになった。この口演でも、酔っ払いとうどん屋の整理されたやりとりの合間に、冬の夜の寒さと静けさが感じ取れる。唐辛子で真っ赤になったうどんに悶絶する酔っ払いを、表情と擬音を駆使して描くのも馬生らしい。
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【江島屋】
昭和56年(1981)2月27日/第242回
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芝の古着屋・江島屋のせいでひとり娘を失った老婆が、店に呪いをかける。食べ物にも金にも興味を示さず、ひたすら復讐のために生きる老婆の絶望感は底なしで、救いようがない。「人物の心を一心に演ずる以外にない」という馬生の、人間理解の深さを実感できる、奇跡的名演。
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【王子の狐】
昭和52年(1977)8月30日/第200回
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人を化かそうと思った女狐が、かえって人間にハメられる。ふわりとした語り口が、この手のファンタジーによく似合う。馬生の特質が存分に生きた一席。
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【大坂屋花鳥】
昭和49年(1974)5月31日/第161回
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遊びが過ぎて無一文となった旗本が、人を斬って金を奪い、吉原の馴染みの花魁・花鳥のもとへ。花鳥は追っ手から男を逃がすため、楼閣に火を放つ。愛する男のために我が身を捨てる花魁の想いが、燃えさかる吉原の夜空にくっきりと浮かび上がる。46歳の口演だが、感情表現を抑えて淡々とした語り口は晩年に通じ、高い効果を上げている。
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【お血脈】
昭和54年(1979)7月30日/第223回
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仏教伝来から始まる古い物語に、ところどころ茶々を入れながら進行。地獄の石川五右衛門が信濃の善光寺へ出向くとそこは現代で、五右衛門は喫茶店でアメリカンを注文する。地語り(話者による客観描写)を主体とする地噺を自在に操り、楽しみながら演じている。
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【お富与三郎~島抜け】
昭和52年(1977)2月28日/第194回
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長編人情噺『お富与三郎』を馬生は好んで演じ、一門にも受け継がれている。『島抜け』では無宿人として捕らえられ、佐渡の金山へ送られた与三郎が雨の夜、決死の脱出を試みる。昇る朝日に向かって駆け出すラストシーンは、パノラマ映画のように雄大で美しい。選び抜いた言葉で情景を鮮やかに描き出す、これぞ馬生ワールド。
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【お富与三郎~与三郎の死】
昭和54年(1979)6月29日/第222回
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『お富与三郎』の最終話。江戸に戻った与三郎はお富と再会。束の間の逢瀬をいとおしむが、逃げ切れないと観念したお富は自らの手で最愛の男を刺し殺す。お富の心情に寄り添う語り口は、夫人と三人の娘に囲まれて暮らした馬生ならではのものだろう。
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【お初徳兵衛】
昭和56年(1981)8月31日/第248回
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若旦那から船頭になった徳兵衛と、芸者・お初のなれそめの物語。晩年のしっとりした語りを堪能できる。雨にけむる大川に浮かんだ屋根船は、まさに一幅の墨絵のよう。俳句、俳画の素養が存分に活かされた一席。
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【お見立て】
昭和52年(1977)8月30日/第200回
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田舎大尽の相手をしたくない花魁が、その場しのぎの言い訳で逃れようとする。あいだを取り持つ若い者はふたりにさんざん振り回され……。無責任きわまりない花魁は、『肥瓶』の道具屋や『辰巳の辻占』の女郎にも通じる、馬生を象徴するキャラクター。
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【笠碁】
昭和50年(1975)9月29日/第177回
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名刺代わりの一席で、小さん演と双璧をなす。東横落語会に録音は3席残るが、この回が最高の出来映え。「待った」をめぐる我欲むき出しの意地の張り合いが愉しい。「オッパイが大きいと思って威張ってやがる」は、この噺でしか聴けない名フレーズ。
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【鰍沢】
昭和54年(1979)1月31日/第217回
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山中の一軒家で明日の見えない暮らしを送る元花魁のお熊。その絶望は、旅人の金を見た途端、あらぬ希望へと変わる。極限まで切り詰めた言葉と「間」で、お熊の心理を鮮やかにあぶり出す。昭和44年に芸術選奨新人賞を受賞した得意の演目。
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【替り目】
昭和55年(1980)1月30日/第229回
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サゲまで演じた完全版。前半は志ん生の型を踏襲しながらも、亭主の関白ぶりは控えめで、女房に甘えている感じ、女房の優しく亭主を見守る姿が垣間見える。治子夫人を何より大切にした馬生らしい演出で、現代に聴いても違和感がない。
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【紀州】
昭和56年(1981)4月27日/第244回
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徳川幕府八代将軍選びにまつわる典型的な地噺だが、脱線をふんだんに交えて決して飽きさせない。噺の世界に自在に出入りする、晩年の円熟ぶりが素晴らしい。
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【首ったけ】
昭和50年(1975)12月28日/第180回
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吉原を舞台に、男女の騙し合い、男の愚かさ、女どうしの意地の張り合いをシニカルに演じる。『辰巳の辻占』『文違い』など、この手の噺は馬生がもっとも得意とするところで、人間なんてしょせんこんなもの、という諦観が極めて落語的。
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【肥瓶】
昭和53年(1978)11月29日/第215回
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所帯を持った兄貴分の家に祝いの品を贈ろうと、道具屋を訪ねたふたり。だが、所持金わずか50銭と知って道具屋は呆れ返り、水瓶の代わりにタダ同然の肥瓶を勧める。「水をいれりゃア水瓶」「見ぬもの清し」という道具屋の投げやりなせりふが馬生ならでは。臭い噺を楽しげに演じ、従来のイメージを覆す掘り出し物音源。
さ
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【ざる屋】
昭和52年(1977)1月31日/第193回
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寄席の馬生を象徴する一席。無責任で身勝手で調子のいい主人公は、馬生落語のキャラクターとしても出色。縁起担ぎのマクラも愉しい。
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【三軒長屋】
昭和44年(1969)10月28日/第106回
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41歳、馬生の独演会企画にて、サゲまで通しで49分の熱演。長さをまったく感じさせず、多くの人物を的確に描き分け、長屋のドタバタを活写している。若い衆の喧嘩や剣術の立ち合いでは腹の底から大声を発し、若き日のエネルギーが感じられる。
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【死ぬなら今】
昭和50年(1975)12月28日/第180回
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贋金の賄賂が地獄に蔓延した結果、地獄が機能しなくなり、罪人を裁けなくなる。荒唐無稽な地噺を、肩の力を抜き、自らも愉しみながら演じている。
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【溲瓶】
昭和47年(1972)2月28日/第134回
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八代目文楽追悼公演で、文楽のネタを演じたもの。溲瓶を花瓶と思い込んで買い求める田舎侍を、けっして茶化すことなく、まっすぐで人情味に溢れた人物として描いている。父・志ん生の古道具屋でのエピソードを語るマクラも聴きもの。
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【真景累ケ淵~豊志賀】
昭和52年(1977)7月29日/第199回
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怪談噺の定番だが、怖さの演出よりむしろ、独身のまま歳を重ねた女性の不安と嫉妬に焦点を当てている。圓朝の原作にはない夕顔の花のエピソードが印象的で、やるせない哀しみを誘う。女性への共感が生きる好演。
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【酢豆腐】
昭和50年(1975)8月29日/第176回
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通ぶった若旦那に、珍味と偽って腐った豆腐を食わせる。「こんつわ」から始まる若旦那の口調とキャラクターは極端にデフォルメされ、馬生の漫画的一面を堪能できる。
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【千両蜜柑】
昭和51年(1976)8月30日/第188回
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真夏に若旦那が所望した蜜柑は、ひとつ千両。「それが当然」「それでも安い」という人々に囲まれて、番頭はしだいに金銭感覚を狂わせてゆく。番頭の心理を理詰めで描くところに、馬生の工夫が生きている。
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【そば清】
昭和53年(1978)8月30日/第212回
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十八番のひとつ。「ど~~~も!」という高いトーンの挨拶でそば屋に現れるそばっ喰いの清さんは、馬生ならではのキャラクター。大喰いをテーマにしながら、けっして下品にならない。そばをすすっては言い訳をする、調子のいい清さんのリズムを楽しみたい。
た
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【たがや】
昭和50年(1975)6月27日/第174回
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夏の寄席でよく掛けていたネタ。地語りが多い噺だけに、地噺を得意とする馬生の特質が生きる。かつての隅田川川開きを回想するマクラも面白い。
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【辰巳の辻占】
昭和51年(1976)3月29日/第183回
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洲崎の女郎に夢中になった男。女郎の本当の気持ちを確かめるため、一緒に死んでくれ、ともちかけるが……。男女の約束を空しいものと達観し、生死にかかわる騙し合いをあくまでも軽妙に皮肉っぽく描く。これぞ馬生の真骨頂。
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【狸賽】
昭和50年(1975)4月28日/第172回
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命を救われた子狸がその晩、恩返しにやってくる。子狸の比類なき愛らしさ、あくまで対等に接して子狸を気遣う主人公の優しさが印象的。馬生の人間性がいかんなく発揮された佳品で、聴くたびに幸せな気分に浸れる。
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【垂乳根】
昭和50年(1975)5月30日/第173回
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寄席向きの短いネタのはずが、この口演は本編だけで27分。降ってわいた縁談に「女ですか?」と聞き返したり、嫁がキズものと聞いて「横っ腹から水が漏る」と混ぜ返したり。八五郎と大家のやりとりにギャグをたっぷり詰め込んだ爆笑編。
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【つづら】
昭和44年(1969)10月28日/第106回
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3席を口演した独演会企画のトリで演じた十八番。間男をされた亭主の怒りと、それを必死で押さえる女房の覚悟。41歳の緊張感に溢れた名演。
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【天狗裁き】
昭和55年(1980)8月27日/第236回
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見てもいない夢の内容を訊かれた主人公。大家にも奉行にも口を割らず、ついに天狗の裁きを受ける。晩年のふわりとした語り口が、噺のもつファンタジックな味わいを増幅させる。志ん生から受け継いだ噺で、馬生の口演を聴いた桂米朝が上方で復活させた。
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【道具屋】
昭和55年(1980)11月28日/第239回
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馬生は与太郎キャラを得意としており、『鮑のし』の甚兵衛さんまで与太郎にしてしまうほどだった。ここでも与太郎の「らしさ」が炸裂。客の造形もしだいにエスカレートし、最後は漫画の世界になる。
な
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【長屋の花見】
昭和52年(1977)4月27日/第196回
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五代目小さんが有名だが、馬生も花の時分に寄席でよく掛けていた。小さん演と趣向は同じだが、長屋の住人の諦めや成り行きまかせの態度に馬生らしさが感じられ、この噺を掌中のものとしていたことがわかる。
は
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【花筏】
昭和49年(1974)2月27日/第158回
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病身の大関・花筏の身代わりで、提灯屋の亭主が地方巡業へ出向くが……。相撲を愛した馬生の素顔が垣間見える。実際にいたという「何を言ってるかわからない行司」のモノマネも楽しい。
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【花見の仇討】
昭和49年(1974)4月30日/第160回
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桜の時分に毎年高座に掛けていた得意ネタ。4人の主役が3つの場所に分かれて同時進行する難しい噺を、ごく自然に聴かせている。その技量の確かさと、笑いを増幅させる絶妙な間合いは他の追随を許さない。
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【干物箱】
昭和53年(1978)9月29日/第213回
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ふわふわした幇間のキャラクターがピタリとはまり、文楽、志ん朝とは異なる味わいがある。やかましく小言を言いつつ、息子が心配でならない父親像もほほえましい。
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【百年目】
昭和55年(1980)3月24日/第231回
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ふだん堅物で通している大番頭。向島で派手に遊んでいるところを大旦那に見つかってしまう。明くる日、クビを覚悟で大旦那の前へ出ると……。大旦那の優しさ、器の大きさを目一杯に表現。大番頭を家族のようにねぎらう言葉が心に沁みる。実生活でも家族を大切にした馬生ゆえの説得力。
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【文違い】
昭和56年(1981)12月29日/第252回
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客は遊女に騙され、その遊女も別の男に騙され……場面転換の多い複雑な噺を、無駄のないせりふでさらりと聴かせる。口八丁で客を騙しつつ、好きな男の前ではメロメロになる遊女が愚かしくも愛おしい。53歳、CD収録の50席中、最晩年の口演。
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【文七元結】
昭和49年(1974)8月30日/第164回
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娘を吉原へ預けて借りた50両を、見ず知らずの若者にくれてやる――とかく江戸っ子の理想像とされがちな左官の長兵衛を、金と見栄と女房のあいだで揺れ動く市井の職人として描き出す。他の演者にはないリアルな人物像が馬生らしい。
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【牡丹灯籠~忠僕孝助】
昭和55年(1980)7月29日/第235回
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圓朝作『牡丹灯籠』で、お露の幽霊と同時進行する物語。剣術の名手・飯島平左衛門(お露の父)の家で、孝助という男が下男奉公を始める。聞けば父の仇を探しており、討つために剣術を教わりたいという。平左衛門は仇が自分自身であることに気づき、討たれる覚悟を決める。筋が入り組んで散漫になりがちな噺を、孝助の一途さとそれに応える平左衛門、という主従の絆にまとめ上げている。東横の録音は3席残るが、他2席は出来がよくなく、この口演が一期一会の名演となった。
ま
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【妾馬(八五郎出世)】
昭和51年(1976)1月30日/第181回
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収録50席中、もっとも客席を沸かせている音源。千人近い観客の爆笑がどよめきのように響く。志ん生の型とクスグリを受け継ぎつつ、八五郎のとぼけたキャラをさらに強調している。
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【目黒のさんま】
昭和51年(1976)11月30日/第191回
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一説に殿様の無知を諷刺した噺ともされるが、世間知らずでわがままな殿様も、馬生の手にかかれば愛らしく憎めないキャラクターとなる。さんまの無造作な焼き方、家来衆の戸惑い、さんまの脂抜き調理法なども漫画的にデフォルメして聴かせる。
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【もう半分】
昭和51年(1976)12月28日/第192回
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ふつうなら30分かかる噺を、わずか21分で語り切った珍品。怪談的な暗さより、軽く乾いた語り口が特徴。爺さんが身投げしたと聞いても驚かず「もう大丈夫よォ」という酒屋の女房のドライな感覚に凄みがある。
や
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【柳田格之進】
昭和50年(1975)10月31日/第178回
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CDつきマガジン『落語 昭和の名人 極めつき72席』(2019年・小学館)収録音源の4年前の口演。解釈は同じだが、比較すると軽快なタッチで笑いどころも多い。それだけにラストシーンの真剣さが際立ち、聴いたあとに強い印象を残す。両者を聴き比べるのも面白い。
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【夢の瀬川】
昭和56年(1981)1月27日/第241回
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雪、渡し舟、美しい女と素材が揃った、一幅の水墨画のような物語。夢の噺だけに、ふわふわした語り口が最大の効果を発揮する。俳句のように言葉を選び抜き、「間」を大胆に活かした晩年の演出を堪能できる。
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【湯屋番】
昭和51年(1976)12月28日/第192回
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マクラを除いても30分以上。湯屋へ奉公に出るまでの、若旦那の居候としてのボヤキに重きを置いた珍品。飯の盛り方への苦情、ウグイスの捕獲法などを念入りに語り、『ざる屋』の主人公にも通じる浮世離れした人物像を浮かび上がらせる。寄席では湯屋のくだりを省き、居候の部分だけをよく掛けていた。
ら
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【らくだ】
昭和56年(1981)6月29日/第246回
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サゲまで57分の名演。カンカンノウはあえて踊らず、死骸の髪の毛をむしり、硬直した手足を折るなど、徹底したリアリズムに凄みがある。兄貴分、屑屋、焼場の男と、登場人物がどんどん過激になってゆくのも聴きどころ。CDブック『東横落語会のすべて』(2010年・小学館)に収録した音源だが、オリジナルテープに戻ってリマスターした。
ライカを手にする若き日の馬生。川柳や日本画に加えて、写真撮影も趣味のひとつだった。
父・志ん生(左)と卓を囲み、かき氷で涼を取る。志ん生の家と馬生の家は一軒はさんで隣り合い、行き来も頻繁だった。
治子夫人と。夫人は美人で料理上手。それもありふれた食材を美味しくする才能があった。落語界きってのおしどり夫婦で、馬生自身「もう馬鹿メロで」と語っている。
馬生直筆の「根多飛加江」(ネタ控え)。弟子が見ても内容のわからない演目もあるという。若き修業時代、古参の噺家から教わったネタも多い。
落語協会の会員証。昭和23年に古今亭志ん橋で真打昇進。昭和24年10月に金原亭馬生を襲名した。
写真・資料提供/美濃部由紀子