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2018.9.24

【第5回】ドラマ放送直前! 池井戸潤の大人気シリーズ、待望の最新刊『下町ロケット ヤタガラス』第1章[5]を無料公開中!

【第5回】ドラマ放送直前! 池井戸潤の大人気シリーズ、待望の最新刊『下町ロケット ヤタガラス』第1章[5]を無料公開中!

この秋、最注目のドラマといえば、何といっても「下町ロケット」(TBS日曜劇場)だ。原作は池井戸潤原作の国民的人気シリーズで、累計部数は300万部を突破している。7月に刊行したドラマ原作でもある『下町ロケット ゴースト』に続き、早くもそれに連なる最新刊『下町ロケット ヤタガラス』の刊行が決定。9月28日の発売を前にひと足早く、第1章を特別連載!「宇宙から大地」編のクライマックスや如何に!?

 

第1章 新たな提案と検討[第5回]

 

 その夜、野木が案内してくれたのは札幌市の繁華街ススキノにある和食の店であった。

 「本当に今日はいいものを見せてもらったよ。ありがとう」

 佃がその日そのセリフを口にしたのは、何度目だろうか。「研究開発にもいろいろなものがある。中には、基礎研究のような、重要だけどもそれがどんなふうに実用化され、世の中に貢献するか想像すらつかないものもある。だけど、野木─お前の研究はいい。日本の農業が抱える問題と真正面から取り組み、成果を上げることができる。一般の人たちに、ああこれで救われたって、そんなふうに思ってもらえる技術はそうはない。まさにブレークスルーだ」

 ブレークスルーとは、それまでの障害を乗り越える、突破する技術という意味である。

 「ロケットエンジンのバルブシステムだって、そうじゃないか」

 野木がいった。「そのバルブがあったからこそヤタガラスが打ち上げられ、あのトラクターが動いているともいえるんだから」

 「いやいや、そこまでのものじゃないよ。そもそもその衛星を打ち上げるロケットを飛ばしてきたのが財前さんだ。彼がプロジェクトマネージャーとして全てを仕切ってきたんだから」

 「そうなんですか」

 野木は初めて知ったようだった。

 「実はヤタガラスの七号機が私の最後の仕事になりました。打ち上げが成功して本当によかった。今日のデモを見て、心からそう思いました」

 「そうだったのか……。あらためて、ありがとうございます」。そんなふうに礼をいうのも野木らしい。

 「なあ野木、そろそろいいんじゃないのか」

 佃が改めて問うたのはそのタイミングだった。「話してくれよ。なんで実用化に気が進まないんだ。何があった?」

 黙したまま、野木は正面の壁にそっと視線を置いている。

 どれくらいそうしていたか、苦しげな吐息とともに喉のあたりを上下させた。

 「実は五年前、ある会社から共同研究を持ちかけられてね、提携したことがあった。いわゆる産学協同だ」

 その事実を、どうやら財前も知らなかったらしいのは、表情を見ればわかる。「ぼくの研究開発を手伝いたい、ゆくゆくは一緒に実用化を目指しましょうというので、先方がそのために設立した会社の研究員たちを学外の共同研究者という立場で、うちの研究室に受け入れたんだ。受け入れる代わり、研究開発のために必要な機材をその新設会社が出すという約束でね。ところが、先方から送り込まれてきた研究員たちには裏があった」

 「裏?」

 俄かに険しい表情を浮かべた野木に、佃はきいた。

 「その頃はまだ、自動走行制御技術は未完成で、五年後に─つまり今年を目途に実用化を目指す計画だった。実用化のノウハウと資金は先方が出し、ウチは利益の十パーセントにあたるロイヤリティを受け取るという契約だ。ところが、一年も経たないうちに、一方的に契約解除を通告してきたんだ。理由は、こちらの契約義務違反だっていうんだな」

 「どんな義務違反なんだ」

 「送り込まれてきた研究員に必要な開発ソースを開示しなかったというんだ。だけど、そんな話は当初の契約にはなかった。契約にはただ共同研究者として受け入れるとあっただけだ。先方の主張は、開発ソースの情報提供なしに共同研究は不可能であり、これはぼくに責任があるというんだな。そして、拠出した分の二千万円を弁済せよといってきた。で、結果的に裁判になった」

 「どうなった」

 佃が問うと、野木の表情が苦々しく歪んだ。

 「勝つには勝ったよ。通信技術のコアになる開発ソースはぼく個人の技術だ。共同研究は実用化のためのもので、そこまで開示する義務はないという判決だ」

 「それだったら、よかったんじゃないのか」

 なお暗澹たる面差しの野木に問うた佃に、

 「ところがそれだけじゃなかった。それに気づいたのは、実はその裁判が続いていた頃のことだ」

 野木は、テーブルの酒をひと口含んで、続けた。「その会社が、自社開発という触れ込みで農機具の自動走行制御システムを実用化しようとしているのを知ったんだ。気になったんで、その会社が開発したというシステムについて調べてみた。すると驚くほどぼくの開発したシステムと似ていることがわかった。いや、もっというとコピーされたかのようにそっくりだったんだ。何をいおうとしているかわかるよね」

 「技術を盗まれたと、そういうことですか」

 財前の指摘に、静かに頷いた野木は、「おそらく、ウチの研究室に送り込んできた研究員の目的は、最初っから開発したプログラムを盗むことにあったんじゃないかと思うんだ」

 「つまりその意味では、その連中は所期の目的を達成したわけですか……」

 ひとりごちた財前が、野木を見た。「契約違反を理由に、あわよくば初期投資まで回収しようと考えたのかも知れません。仮に敗訴しても、開発ソースさえ盗めばあとは自分たちでなんとかなると」

 何か思い当たるフシがあるのか、今度は財前が思案にくれて押し黙る。再び野木を向くと、

 「失礼。それはなんという会社でしょうか」

 財前が問うた。「もし、差し支えなければ教えていただけませんか」

 「キーシンという会社です。佃、お前と同じ大田区の会社だ。いまは知らないが、当時は大森駅近くの、なんでも、ベンチャー企業ばかりが集まっているというビルに入っていた。知ってるか」

 「いや、聞いたことがない」

 首を横に振った佃に、

 「実は先生、そのキーシンという会社、存じ上げています」

 意外なことを財前はいった。

 「このビジネスを進めるにあたり、自動運転を研究している会社をいくつか当たった中に、キーシンも含まれていました。おっしゃるように農業機械の自動操舵技術をウリにしておりまして、ヤタガラス最終機の打ち上げもあっていま注目されているベンチャーです」

 「キーシンとの提携は検討されなかったんですか、財前さん」

 佃が気になったことをきくと、「検討はしましたが、早い段階でリストから外したんです」、そんな答えがある。

 「理由はなんです」

 野木も興味を持ったようだ。

 「技術力のバックボーンが見えないんです。確かに研究者は何人もいるんですが、自動走行制御システムで核になるリーダーがいない。どうやって開発したんだろうと、実は疑問に思っていましたが、いまのお話で納得がいきました」

 「そのキーシンという会社の社長ってのはどんな男なんだ。会ったんだろ」

 佃がきいた。野木に向けた質問だ。

 「戸川譲という男で、高校卒業後、アルバイトをしながら独学で通信技術を学んで会社を立ち上げたという話をしていたな」

 「資金はどこから?」

 ベンチャーといっても、先立つものは金である。競争力のある技術やノウハウを有する個人が起業する場合、投資会社や個人が出資している場合が多い。

 「最初は、株でひと山当てた資金を注ぎ込んで設立したそうだ。その後はベンチャーキャピタルが出資してくれたらしい。金回りは良さそうな印象だったけど」

 「キーシンの財務内容は設立以来ずっと赤字です」

 財前はそこまで調べていた。「数社のベンチャーキャピタルと個人が三億円近くも注ぎ込んでいますが、まだ回収の目途は立っていません。もっとも、技術を売りにして、莫大な高収益を上げる将来像は語っているようですが」

 「実際の台所は火の車だってことですか」

 野木がやりきれない表情でいった。

 「調べれば窃盗の証拠が摑めるかも知れない。訴えたらどうだ」

 佃の提案に、

 「もういいよ」

 野木は首を左右に振る。「あの戸川という社長も、ウチにきていた研究員と称する連中もどれだけ不誠実かよくわかってる。たしかに、ほじくり返せばどこかに不正の痕跡を見つけることができるかも知れない。でも、だからといって裁判で争うなんてことはもうごめんなんだよ。結局、金の話だ。うんざりでね」

 野木はいった。「裁判が継続している間、どれだけそれに時間を取られ、煩わされたかわからない。本来なら研究に没頭できるはずの時間をそんなことに割かなければならないなんて、苦痛以外の何物でもない。だけど結局のところ、金が絡むってことはそういうことなんだ。話が大きければ大きいほど、お互いの利害がぶつかる場面が出てくる。それを避けては通れない。だけどね、ぼくは金儲けには元々、興味の無い男なんだ。ただ研究が好きで、それに没頭していたい。それだけなんだよ」

 「だけど、それじゃあ農業は救えない」

 野木には酷かと思えるひと言を、佃はぶつけた。「お前はそれでいいかも知れないが、それだけでは研究が自己満足で終わってしまう。それでいいのか。お前はそもそも、なんで農機具を自動走行させる研究を始めたんだ」

 「それは、日本の農業をなんとかしようと─」

 「だったら」

 その言葉を制し、佃は真剣な顔で野木を見た。「オレたちと一緒にやろう。たしかに、そのキーシンの戸川とかいうのはとんでもない奴だろう。だけどな、そんな男のために農業全体が犠牲になるなんてことがあっていいのか。そいつはちょっと違うんじゃないか」

 虚ろに揺れ動いていた野木の視線が、すっと白木のテーブルに落ちていく。佃は続けた。

 「オレたちの苦労や、オレたちが舐める辛酸なんか、大したことはありはしない。そんなことより、オレたちの使命は、世の中に貢献することだ。世の中の人が喜んでくれて、助かった、有難い─そう思ってくれたらこんなに幸せなことはない。いまこうしている間にも農業の高齢化は進んでいるんだ。ずっと田んぼを作ってきて、将来の不安を抱えて生きている農家の人たちの助けになろうじゃないか。いや、もちろんオレたちだけでできるかどうかわからないけど、そこに困ってる人がいるんだ。オレたちの技術を求めてる人が大勢いる」

 「野木先生」

 財前がテーブルに両手をついて頭を下げた。「お願いします」

 「野木、頼む」

 佃もそれに倣う。

 そのまましばらく頭を上げる気配もないふたりに、

 「わかった、わかったよ」

 やがて野木からそんな返事があった。「まったく、佃にかかっちゃかなわないな。それに財前さんも」

 やれやれとばかり笑いを浮かべた野木はしばし俯いたが、

 「だけどお陰で、忘れていたものを思い出した」

 やがて、そんな呟きを洩らした。「なんのために研究しているのか─。なんで、そんな重要なことを忘れていたんだろう。なんでそんな大切なことを見失っていたのかな」

 呆然とする野木に、

 「もういいじゃないか、野木。オレたちと一緒にやろう」

 佃がいった。もはや反論の言葉などあろうはずがない。

 新たな酒が運ばれた。かくして、北の大地の夜は止めどなく更けていったのである。

 

 宇宙航空部本部長の水原重治が、的場俊一の執務室に呼ばれたのは、ちょうど佃と財前が実験農場でのデモを見ているのと同時刻のことであった。

 秘書が先に立ち、ノックを三回。返事を待って入室した水原が、執務用デスクについたままの的場の前に立ったとき、その机上に一通の書類が載っているのが見えた。

 プリントアウトされた企画書だ。

 『無人農業ロボットに関する新規事業企画の提案』

 数ヶ月前、この頃すでに新部署への異動が決まっていた財前道生が立案、文書作成し、水原が決裁した案件であった。もっともプロジェクトそのものを承認するだけの権限は水原にはない。この企画書が意図したものは、事業をはじめるにあたって必要となる事前リサーチである。必要な技術的な問題、業界動向、マーケットなどが検討され、最終的にクリアされる目途がつけば、正式な事業計画書が作成され、取締役会に諮られる。

 ただ、社内政治に精通する水原の見たところ、この事業計画が決裁されるのはほぼ確実だ。

 着眼点、事業目的、将来性、その他諸々申し分ないからである。さすが財前というべきか、帝国重工という巨大組織を動かす「論理」を知りつくしている。

 だがいま、その企画書にどうやら的場も注目しているらしいことを知って、水原はそっと眉を動かした。一応、的場は宇宙航空部を含む事業部門を統括する立場にあるから、本部長権限で決裁した案件も、読もうと思えば読める。ただ日々、膨大な書類が決裁される中、わざわざこの注目すべき企画に気づいたのは、的場の嗅覚のなせる業としかいいようがなかった。あるいは、作成者欄に旧知の財前の名を見つけて興味を抱いたのかも知れないが。

 「この企画、その後のリサーチは進んでいるのか」

 的場は、わざわざプリントアウトした企画書を手に取り、ページをめくりながら、ちらりと水原を見た。

 「大部分のところは固まってきたようです。事業化が可能であると判断した段階で、正式な事業計画書を社内に諮ることになります」

 「どう思う、君。この企画」

 「特に問題はないと思います」

 初めてこの企画に接したとき、日本の農業を救いたいという志と、準天頂衛星ヤタガラスによる測位精度とをリンクさせる発想に、水原はある種の昂揚感に浸った。正直、こんな企画を自ら立案し、指揮を執れる財前を羨ましいとさえ思ったぐらいだ。

 にもかかわらず、水原のこたえが控えめなのは、的場の反応が読めないからである。果たして賛成なのか、反対なのか。後者であれば、自らの立ち位置を即座に修正する余地は残しておかねばならない。

 「そうだな」

 ぽんと企画書をデスクに放った的場は、足を組んで斜めを向くと、しばし何か考えていたが、やがてその視線を水原まで戻し、

 「この企画、私が預かる」

 予想外のひと言を水原に突きつけた。

 「預かる、とおっしゃいますと……」

 「もし事業化の目途が立った場合、すぐに事業計画を提出してくれ。役員会には私から説明する。陣頭指揮も私が執る」

 水原は戸惑った。

 「この企画ですが、新設の企画推進グループの財前が動いておりますが……」

 「現場を財前が仕切るのはそれでいい。ただ、この事業は私の直轄にしてくれ。戦略は私が直接指示を出す」

 有無を言わせぬ口調に、「かしこまりました」、と水原は了承し、一礼して部屋を出たものの、水原は顎に手を当てたままその場に立ち尽くしてしまった。

 なぜ、よりによってこの企画を的場がやるといいだしたのか。

 理由は明白だ。

 要するに手柄の横取りである。

 この事業には将来性があり、それを我が物にすることによって、自らの評価に繋げようというのだ。

 そしておそらく、事業の先行きが怪しいとなれば、指揮系統をさっさと投げ出すだけの「緊急避難計画」まで練られているに違いない。そのときシワ寄せを食うのは水原自身かも知れない。

 権謀術数の限りを尽くし、利用できるものはとことん利用し、踏めるものは躊躇無く踏み台にして上り詰めてきたのが的場俊一という男である。世に言う「帝国紳士」面をしていても、中味は真っ黒。結果のためには手段を選ばぬ、えげつない男だ。しかし、そのえげつない男の手に、水原が本部長を務める宇宙航空部の命運が握られているのも事実なのであった。

 再び歩き出した水原が向かった先は、同じフロアにある秘書室だ。

 そこに旧知の秘書室長、内藤の姿をデスクに見出した水原はおもむろに近づき、

 「内々で、ひとつ頼みがあるんだが」

 声を潜めて耳打ちしはじめた。

(第1章 おわり)

 

つづきは9月28日発売『下町ロケット ヤタガラス』をお求めください!

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