- 〈 書籍の内容 〉
- 大会延期の今こそ振り返りたいパラの原点
五輪とともにパラリンピックが開かれることになったのは約1年前。傷痍軍人や障害者ら53人は突如「選手」として大会を目指すことになった――。
物怖じする出場者らを励ましながら大会に送り出した異端の医師・中村裕(「太陽の家」創設者)。会場で外国人選手をエスコートした"元祖ボランティア"語学奉仕団。その結成に深く関わり、その後も障害者スポーツをサポートした美智子妃……出場選手たちのインタビューに加え、大会を支えた人々の奮闘も描く。
新型コロナウィルスの世界的な流行によって、2020年パラリンピックの延期が決まった。翌年の開催も日に日に不透明になっていくなか、1964年のパラリンピックが「現在」に向けて投げかける問いは、より重さを増しているのではだろうか。
メダルの数や興行的な成功だけではなく、パラリンピックには社会に新たな価値観を広げ、それを変革していく可能性があることを、当時の大会にかかわった人々は教えてくれる。
いつか世界中の国や社会、そこに生きる人々が手を繋ぎ直そうとするとき、そのように社会を変革する様々な「当事者」を生んだ当時の大会の経験が、あらためて意味を持つはずだ。
- 〈 編集者からのおすすめ情報 〉
- 大宅賞作家による取材期間5年ごしのノンフィクションです。2020年パラが五輪とともに延期が決まった今、そもそもパラリンピックはどこから来たのか、それは五輪と同列に語られるものなのか、について考えさせる一冊です。
- 〈 電子版情報 〉
- アナザー1964 パラリンピック序章
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あの日の主役は僕らだった!
五輪とともにパラリンピックが開かれることになったのは約1年前。傷痍軍人や障害者ら53人は突如「選手」として大会を目指すことになった――。
ある出場者はこう回想する。
「当時の日本は、やって来た外国人から『日本に障害者はいないのか』と聞かれていたような時代。息子も娘も出るのを嫌がって、家族も出すのを嫌がって、みんな家の中に引っ込んでいたんだから」
障害者スポーツという概念は存在しない。彼らは、人前に自らの姿を晒すことさえ、抵抗があった。だが、いざ大会が幕明けすると――。
「競技場へ行って思ったのは、この大会は我々が主役なんだということでした。お客さんたちも僕らを主人公として見てくれていたと確かに感じる雰囲気があったんだ」
物怖じする出場者らを励ましながら大会に送り出した異端の医師・中村裕(「太陽の家」創設者)。会場で外国人選手をエスコートした“元祖ボランティア"語学奉仕団。その結成に深く関わり、その後も障害者スポーツをサポートした美智子妃・・・出場選手たちのインタビューに加え、大会を支えた人々の奮闘も描く。
列島が五輪に熱狂した1964年に繰り広げられていた、もう一つの物語。
日経新聞の書評を読んで興味を持ったというのと、稲泉さんの書いた、宇宙から帰ってきた日本人を読んで面白かったため、今作も購入しました。消して主役ではなかった人々の視点から、当時の日本や世界を見つめ直すというところが興味深かったです。(30代 男性) 2020.6.4
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