『さくら』TOPへ 立ち読み 登場人物紹介 著者より 書店員さんの声 担当編集者より
 僕の手には今、一枚の広告がある。
 色の褪せたバナナの、陰鬱な黄色。折りたたみ自転車の、なんだか胡散臭いブルー。そして何かの肉の、その嫌らしい赤と、脂肪の濁った白。
 なんてことはない、それはただの広告だ。
 手に取るとつるつると光っていて、でも滑らかな、という手触りでもない。「ぴかぴかに磨いているけど古臭い車」という感じ。違うか、「もったいぶってるけど実は安いお皿」、いや何でもいい。とにかくそれは、ただの広告。
「レトルト食品二割引」
「当店は年末年始も休まず営業します!」
「消費税五%還元セール!」
「お正月の準備は万全ですか?」
 僕が何故そんなものを繁々と見つめているかというと、その答えは裏側にある。
 よく見ると、薄く文字が見える。
 油性のマジックでやっと耐えうるそいつに、あろうことかHくらいの薄さの鉛筆書きだ。光の当て具合で文字が見えたり見えなかったり、しかも書いている本人の筆圧の具合で、ほとんど読めないところもある。それでも苦労して解読していると、例えば
「寒椿が綺麗ですね。赤いのはよく見ますが白いのは……」
 あとは
「自分で梅酒を作ってみました。作り方は……」
 つまり相当他愛が無い。
 でもまるで、それが重大な化学式であるかのように、世界をゆるがす預言書であるかのように書き綴られていて、いやそれは大げさ、ただ書き手は、表同様空間を埋めることだけに腐心しているみたいだ。小さな小さな文字でびっしりと書かれてある。ちょっと右肩あがりのその文字は、僕にはとても懐かしいものだ。僕に字を教えたときの、あの字。
 それは父さんからの、二年ぶりの手紙だった。

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