STORY
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森雪之丞

虫カゴで飼っていたヤドカリが
脱皮するために次の貝殻を探している
ヤツはいつ気づくのだろう
未来を運んでくるはずの波が
もう随分と来ないことに

抽斗に残っていた線香花火を
ベランダの暗がりに咲かせた
咲きかけた瞬間
橙色の玉を北風に掠め取られて実感したのだ
花火と私が季節に置き忘れられたことを

1年は12カ月
いつ教えられたのだろう
人として恙無く生きるための知識を
誰に入れ知恵されたのだろう
身体は獣の仲間だという秘密を
なぜ突きつけられたのだろう
心はコワレモノのひとつだという事実を

花火を見上げた夏
度の強い眼鏡を外して彼女は言った
すべての光は色とりどりの涙だと
老眼の私は
近づくほど彼女を見失っていた
小さくなった貝殻のように
夏の亡骸は心を締めつける
脱皮しなければ
自由にならなければと
焦りながら私は待つ
未来からの波を

運命の虫カゴから逃げることのできない
ヤドカリにすぎないというのに








森雪之丞

〝恙無い〟って
ツツガムシにはヤラレてないぜって
安堵を共有するために生まれた言葉らしい

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