STORY
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森雪之丞

一月に還暦を迎える僕へ
と 書き始めて笑いを堪えた
だって『僕』って言葉は
ガキが初めて自分を
主張するための一人称
60年もそのままか!

いや 違う
初めてタバコを吸ったのは
『俺』だった
同伴喫茶でルミの乳房に触れたのも
ライヴハウスで
箱型マイクに絶叫したのも
薄暮の交差点で
孤独の群を眺めていたのも
間違いなく『俺』だ

では何時か何処かに
『私』もいたのか?
就職試験を受けたことがないので
『私』はいなかった
閑話休題

精神科医に言わせると
『僕』を多用する男には
少年回帰願望があるらしい
確かに
僕はガキの頃拾った青空の破片を
胸ポケットに隠したまま
大人になってしまい──

ずっと夢を見ている気がする

霧に煙った巨大な森を彷徨いながら
得体の知れない怪物に
日々戦いを挑んでいる
そんな夢だ
『俺』は誤って大木や
自分の影を殴り敗北続き
今や身も心もボロボロだが
『僕』は怪物を未来と呼び直して
優しく抱きしめる術を覚えた
果てしなく続く結末のない夢
やがて死が訪れる時に
僕はこの夢から醒めるのだろう

一月に還暦を迎える僕へ
たかがまだ60歳の僕へ
頼むからまた『俺』に戻って
ひと暴れするのだけはやめてくれ








森雪之丞

耳は遠くなりましたが
あなたの想いはあの日より聴こえます
目はよく霞みますが
まだあなたの涙は拭いてあげられます
声は嗄れていますが
心とよく似た言葉を
やっと見つけました
歌わせてください もう一度
果てない夢の途中で

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