STORY
STORY

江國香織

紅茶茶碗の磁器のつめたさにたじろぐのは
自分に体温があることへのおののき
わたしはとても許容できない
紅茶茶碗くらい物静かに
紅茶茶碗くらいたしかに
紅茶茶碗ほどに完璧な一人で
この世に在りたかったのに








江國香織

わたしがあなたを愛しているあいだに
世界はすっかり変ってしまった
人々の気配も
地下鉄の終点や路線図そのものも
電気炊飯器の構造さえ
わたしがあなたを愛しているあいだに

わたしは小鳥の声をきき
茹で玉子と桃をたべ
日ざしをあたたかいと思った
風が遠くの木々を揺らし
いろんな緑が遠くで揺れた

わたしは足を波にひたして
ひき波のときにすこしだけ
足の下から砂が減る感触をたのしんだ

わたしは雨の匂いをかぎ
降るぞ降るぞと心躍らせ
降ると笑って
思うさま濡れた

そして
世界はすっかり変ってしまった
わたしがあなたを愛しているあいだに

書誌情報
書誌情報
本書を購入する
本書を試し読みする

このページのトップへ