STORY
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江國香織

雨の昼間に
ミートソースを煮込んでいます
窓ガラスが汚れていることに
気づきましたが
雨なので
磨くのは今度にしようと
考えながら

それにしても雨音は
死者たちをよみがえらせる
つめたそうな きりのない
それは二月の
音楽
記憶が部屋にたちこめる

現れては消える過去たちは
ささやき ざわめき さんざめく
遠く 近く すきとおる
その ひそやかなあかるさ

そして私は
二月の音楽にとじこめられる
ミートソースの具体的な匂いまで

私はなぜまだここにいるのだろう
ひとりで この世に
この部屋のなかに








江國香織

旅にでるとき
きまって
家を捨てる気がするのは
どういうわけだろう
すぐに帰ってくるのに

わたしたちの家はピンクで
窓枠は茶色で
ひめりんごと雪柳と
薔薇と沙羅双樹が
植わっています

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