日本美術全集

全20巻

日本の心が紡いできた比類なき「美」。「日本美術全集 全20巻」。今、日本に存在する「最高の美」のすべてがここに。

第11回配本 浮世絵と江戸の美術(江戸時代Ⅳ)

 
責任編集/大久保純一(国立歴史民俗博物館教授)
定価本体15,000円+税
ISBN9784096011157
判型・仕組B4判/304頁
カラー図版口絵144ページ・カラー図版両観音16ページ
モノクロ解説ページ144ページ/上製・函入り/月報付き

もくじ

  • はじめに 大久保純一(国立歴史民俗博物館教授)
  • 浮世絵の興隆 大久保純一(国立歴史民俗博物館教授)
  • 版元―浮世絵のプロデューサーたち 日野原健司(太田記念美術館)
  • 雛形本にみる江戸時代のモード 丸山伸彦(武蔵大学教授)
  • 江戸の洋風画―西洋画から広がる多彩な創作 金子信久(府中市美術館)
  • コラム/上方の浮世絵 北川博子(阪急文化財団)
  • コラム/関東南画の南北問題 伊藤紫織(千葉市美術館)
  • コラム/民衆の建築―民家・町並み・寺社境内 光井渉(東京藝術大学)

概要

17世紀後半の菱川師宣にはじまり、二百数十年のあいだに数多くの浮世絵師とその流派が生まれ消えていきます。その系譜のなかから当時の人びとが浮世絵に託した思い、さまざまなモティーフ、多彩な表現方法などに、できるだけひろく触れられるような作品を選び取りました。19世紀のヨーロッパ美術界にジャポニズムを引き起こし、いまなお世界中に愛好者がいる浮世絵の魅力を、存分に楽しんでいただけると思います。より良い刷りのものを求めて、在外作品も積極的に掲載。鈴木春信や葛飾北斎、写楽などのおなじみの版画や読本、図譜、肉筆画や上方の作品などのほか、さいきん“再発見”された喜多川歌麿の『深川の雪』、“スカイツリー”が描かれているのではないかと話題になった歌川国芳の『東都三ツ股の図』なども取り上げています。ほかに江戸の美術として、文人画の流れをくむ谷文晁や渡辺崋山などの関東南画、長崎を通じて流入する洋画に学んだ司馬江漢や亜欧堂田善らの洋風画、さらに江戸の町を彩った女性たちの小袖、武家の社交場であった大名庭園、そして富と力を蓄えつつあった庶民による建築を紹介します。

第一章 浮世絵の誕生
 菱川師宣の『見返り美人図』にはじまり、宮川長春、懐月堂安度らの肉筆画、鳥居清信・清倍や奥村政信らの丹絵、紅絵を中心とした美人画や役者絵の版画を多数掲載。

第二章 錦絵時代の到来
 「大小暦」の流行から多色刷りの技術が発達し「錦絵」が誕生する。鈴木春信の美人画が人気を博すると、それを追うように磯田湖龍斎、勝川春章、鳥居清長らが登場。やがて喜多川歌麿、東洲斎写楽、歌川豊国ら、誰もが知っている浮世絵を取り上げました。

第三章 江戸末期の展開
 それまでの美人画や役者絵にくわえて、この時期には名所絵や西洋の銅版画を真似た洋風版画が流行する。葛飾北斎を中心に、歌川国芳の武者絵や戯画、広重の名所シリーズものも多数掲載しました。

第四章 上方の浮世絵
 西川祐信、祇園井特ら、京・大坂で活躍した浮世絵師の作品を取り上げました。

第五章 江戸を彩る
 江戸の町を彩ったのは女性たちの衣裳。武家や上層町民の女性たちの身を包んだ華やかな小袖、振袖を紹介します。

第六章 関東南画
 中国の山水画に連なり文人画ともよばれる、谷文晁や渡辺崋山とその弟子たちの作品を取り上げました。

第七章 洋風画
 平賀源内に教わり秋田で蘭画を発展させた小田野直武と佐竹曙山、そして江戸の司馬江漢、亜欧堂田善、安田雷洲らの作品を取り上げました。

第八章 大名庭園と庶民の建築
 大名たちの社交場であった庭園のうち、東京に残される浜離宮恩賜公園と六義園を紹介。ほかに、経済的な繁栄を基盤とする民衆文化のなかで作り出された、寺社や豪農の建築を紹介します。

(編集担当・一坪泰博)

 第15巻『浮世絵と江戸の美術』を担当することになったのはまったく偶然のことで、少しまえまで「浮世絵」に肉筆画と版画の作品があるという大きな違いさえ知らなかったので、どうしたものかと。担当が決まってから、ひんぱんに開かれる展覧会をじっくりと観ては手近にある資料をひっくりかえし、なんとか落ちこぼれないようにがんばったつもりです。執筆者たちとのやりとりは、学校の授業そのものです。

 監修をお願いした大久保純一先生とどういう構成にしていくかとお話をしたときに、やはり編年体を基本にしましょうということにしました。本書をご覧いただくとおわかりいただけますが、冒頭は菱川師宣の『見返り美人図』です。この絹本着色の作品が元禄年間(1688〜1704。師宣は1694年死去)に描かれたのを構成上“浮世絵のはじまり”とし、安政4年(1857)の歌川広重による『名所江戸百景』などをもっとも新しい作品として江戸時代の“浮世絵の結び”としました。その間170年ほど(浮世絵が終焉を迎えたといわれるは、もう少しあとの明治時代。念のため)、上方で活躍した絵師もあわせてカラー図版で紹介した浮世絵は、44人の絵師の120作品です。浮世絵のことをザッと知ろうとこのあたりの数の絵師のことを覚えておくと、ちょっとしたモノ知りのフリはできると思います。写楽と北斎は知ってる、という人とはちょっと違うぞというレベルです。

 これは驚きでしたが、浮世絵はひじょうに奥が深かった。この巻ではほかに関東南画と洋風画というジャンルを取り上げていますが、たとえば南画は中国絵画の流れのなかにあって日本においては江戸時代に入って広まったとはいえ、それ以前の水墨画や禅の絵画や書などとその類似点は指摘できます。それら背景があって、積み上げられてきた歴史を感じられるわけですね。そして重要なことは、これらのことを小学校以来歴史の授業で繰り返し学んできたはずです。洋風画についても、高校で日本史を選択した人であれば司馬江漢や亜欧堂田善らのことは学びます。その技術が長崎を通じて入ってきたこと、それらを歴代の将軍や大名が取り入れようとしたことなどを覚えました。このように、現代人の基礎知識のなかに、南画と洋風画の誕生から導入あたりまでは入っているのです。

 翻って浮世絵はどうでしょうか。幕末の浮世絵師・溪斎栄泉の随筆によると、浮世絵師たちは「浮世又兵衛」とよばれた岩佐又兵衛を自分たちの先達と考えていた、と大久保先生は書かれています。岩佐又兵衛は戦国武将の荒木村重の子という説のある人物ですが、17世紀初頭に風俗画を描いた絵師です。師宣の活動時期より100年近く前のことです。そんなことは知りませんでした。さらに、浮世絵の題材には歌舞伎や狂言はもちろん、浮き世=日常のことを題材としているので、ありとあらゆることが取り上げられています。そして1枚の絵にたくさんの情報が詰め込まれています。たとえば、描かれているのが女性であれば、それが町娘なのか遊女なのか、はたまた若衆なのか歌舞伎役者なのか。着物の柄にはもちろん流行があり、持ち物はどんなものか、背景になっている場所はどこなのか。なにを本歌にしているのか、なにに見立て、なにをやつしているのか。さらに幕府による統制が厳しくなると、強烈な風刺で当てこすったり、判じ絵や隠し文字を入れてみたり。それらは江戸の文化すべてを飲み込めと脅すような感じで、クラクラしました。浮世絵には毒気が含まれることが多々なので、学校では教えないのでしょうか。こんなこと教わった記憶がありません。あやうく知らずに通り過ぎるところでした。

 ほかにも、技法のことがあり、刊行を仕切った版元のこと、江戸だけではなく京・大坂の状況、じっさいの衣服(きもの)との関わりなどについて、それぞれの研究者に論考を書いていただきました。個別の作品解説も有機的なつながりがあって、読み進めるうちに理解が深まっていきます。

 さて、かように浮世絵にはごった煮感があるのですが、選んでいただいた作品を見通すと、なんとなしに上品さが漂っています。毒々しい作品だけで構成することも可能であったし春画も検討しましたが、できあがってきたリストの作品を並べてみると、このようにしっとりした印象を受けるものになりました。大久保先生の趣味なのかもしれません。これはいままでのわたしがもっていた浮世絵のイメージとはちがうので、ぜひともページをめくってみてください。わたしはだいたい1年くらいのあいだ毎日眺めてましたから、やはりそれくらいくりかえし観て読んでいただくことをおススメします。

(編集担当・一坪泰博)