私は夜行をこう読んだ! 皆さまの声 森見登美彦氏が特に唸ったベスト10公開中!
受賞作タイトル

「ただ一度きりの曙光」。なぜ、ただ一度なのか。夜明けは何度も繰り返されないのか。「夜行」とは何か。岸田は西行法師の歌「春風の花を散らすと見る夢は−」を「夜行」だと言い、その花(西行の桜)を「魔境」なんだとも言う。魔境について説明としてあげられた「今昔物語」では極楽浄土に旅立った聖が現実は天狗に誑(たぶら)かされていたにもかかわらず、本人は正気にもどらず息を引き取る。主観的な世界に囚われ死んだ僧自身は不幸だったのか。

第一夜から四夜まで、語り部はすべて主観的な魔境に囚われ、「夜行」へいざなわれる。そこには暗い幸福がある。最終夜、大橋は「曙光」のみ存在する世界に入り込む。しかし、岸田宅の居間でテーブルに置かれた「曙光」の尾道は黄昏そして夜の闇に沈んでいく。「曙光」はいずれ「夜行」へ。「曙光」と「夜行」は表裏一体ではなく、すべて「夜行」へとつながる。そして夜は明けない。だから「曙光」は一度きり、「世界はつねに夜」なのだ。

芸術家というものについて、岸田は「隠された真実を描く役目をしているのではなく、魔境を描いている」と言う。芸術家はあくまで主観的なものの総体を描いている。これは虚構(小説)を描くといういうことについての作者の言葉のようにも感じられる。

また、そもそも芸術に限らず、この世界に隠された真実が存在するのだろうか。ひょっとして世界そのものが主観的なものの総体なのではないか。そのあやふやさが、解消されない後味として残る。

 『夜行』を書いているとき、各章の語り手が夜の世界に飲みこまれるのを単なるバッドエンドにしたくありませんでした。「そこには暗い幸福がある」というご指摘のとおりです。魔境に関する岸田氏の意見が正しいかどうかはともかく、彼のような側面が私自身にあるのもたしかです。

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