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この本から学んだのは、初めて本を出すのは起業であること、である。いわゆる自費出版も、起業と言うことになる。そうか、そうだったのか。そのことを自覚して居ないから、あなたの原稿を本にします、という自費出版商法に引っかかるんだな、と言うことも分かった。知人に配るだけにとどめるなら遊びだから、それでよい。ビジネスという意味をわきまえずに、あわよくば印税、などと望むから火傷するのも当然、となるわけだ。
起業、と言う言葉が気になる人は、まず本を出してみること。そうか、そう言う形での起業があるのか。それがこの本から学んだことである。そしてそれなら、試みること、挑戦すること誰にでも出来るだろう。もちろん、よし俺も、である。仮に本では成功しなくても、起業のトレーニングとしての意味と重要性は失われないと信じて良い
それではコンテンツはどうするか。ネタの基本は女性週刊誌だと思う。ついでに言えば、経済新聞の記事レベルはゴシップ週刊誌と同じである。ある企業のについての記事も、読者はいちいち確認しようがない。とすれば、その意味で又聞きとおなじであり、要するに隣のうちが新しい電気製品買ったようだ、金回り良さそう、芝生はきれい、と言うのと本質的にどこも違わない。
ゴシップとは、皆が知りたい、皆が信じたい、皆が言ってもらいたいと思っている事、の別名だと思う。ならば、コンテンツの本質もゴシップでよい。というより、ゴシップ以上ではあり得ない。
念のために言えば、ゴシップであることは、法律用語を使えば、当然に、低俗低次元になるものではない。低俗低次元になるか否かは、受取手の問題なのはいうまでもない。一見低俗風だが、読んでみたら内容は高度、という本だっていくらもあるだろう。
それでは、自分はゴシップのネタを持っているか。持ってなければ、作ればよい。それには、自分の今の毎日の生活をコンテンツ、という視点から見直せばよいのではないか。
家族、職場、要するに人とのやりとりを、まず、コンテンツ化を試みればよい。会話が面白くなるし、冷静になれるのではないか。もう一人の自分、それはコンテンツの作者としての自分に他ならない。もう一人の自分、なんて簡単に生み出せるものではなかったが、その道も開けてきたかも知れない。可能性、というのはそこから始まるのかも知れない。